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2007年3月24日 (土)

「婦人文芸」82・83号の秋本喜久子さんの2作

83号掲載の「その日シカゴの月は溶けて」(秋本喜久子)は、まず、独白的な個性のある文体が気持ちよい。ユーモアの中に乾いたペーソスを漂わせ、アメリカでの生活が描かれる。実に日本のW・サローヤン的な味わいがある。アルメニア人のサローヤンの小説は、小説らしくない小説が多いが、この作品も、生活日記風のスタイルでありながらヒューマンな生活ぶりが説得力をもって描かれる。
主人公は更年期障害で、自律神経失調に悩まされながら、アメリカ・シカゴへ向う。息子の真吾はアメリカでウクライナの女性、ナターシャと結婚、生まれたばかりの子どもの世話をして欲しいと、頼まれたからである。英語をたしなみ、アメリカの風土を理解している主人公だが、ウクライナ出身の息子の妻は、また独自のカルチャーをもっている。ストレスで自律神経を乱しながら、孫の世話をする過程が描かれる。
周囲の人物の描き方の距離感の良さ、適切さは天下一品のものがある。異邦人同士で生活するのが当たり前のアメリカ社会が見事に活写されている。

―――と、以前の私のメモにある。他に、「屋根裏の少女」(菅原治子)、「介護一」(和田聖子、「望郷」(野中間世)、「あにき」(中村翔)などが印象にあると、記録している。そのうちに作品紹介しようと思っていたら。「婦人文芸」83号が到着した。
きっと好評で、続編をかいているのではないかと、開いたらあった。そこでまず、読んだのが「ナターシャために」(秋本喜久子)である。前編で素直でストレートな心情のままに、頑張って生活するナターシャが来日する。それを支える姑である主人公の暖かい心情をベースにし、数々のエピソードを紹介する視線が感動を与える。グローバルな人間関係による日常のなかの非日常を描く。とにかく面白いし、読後に心豊かな余韻を残す。(つづく)

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