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2007年2月21日 (水)

社説盗作事件。出来ないことをしようとすると・・・

下記の新聞の記事が目についた。
 
 山梨日日新聞社(甲府市)の小林広・元論説委員長が執筆した社説で、神戸新聞と西日本新聞の社説の一部を盗用していた問題で同社は20日、元論説委員長の執筆した社説15本で新たに他メディアからの盗用が判明したと発表、野口英一・社長兼会長が社長職を辞任する考えを明らかにした。

 同社によると、新たに盗用が判明した社説は2004年1月19日掲載の「国際コメ年」から07年2月5日掲載の「裁判員制度世論調査」までの計15本。読売新聞から6本、朝日新聞と信濃毎日新聞から各4本、日本経済新聞から3本、毎日新聞から2本など6つのメディアの社説や一般記事など計20本の記事から盗用した。

 小林元論説委員長は、15本の社説について盗用を認め、社内調査委員会の聴取に対し、「不得意なテーマもあり、きつくなった。(ほかの)新聞社は、同志のような意識になり、引き写しても許されるような考えになってしまった」などと話しているという。[読売新聞社:2007年02月20日]

 【ボケの感想】
 こういう現象は、新聞界には多い。要するに生活していて、同業の新聞記事しか読んでいない。世間は新聞記事のなかにあると思ってしまうらしい。
 よく、倫理観が問題にされるが、言い訳として「(ほかの)新聞社は同志のような気になり・・・・」とか述べているとすると、ノイローゼではないのか。病気では、くびにするのは、どうか?実は、これは個人的な問題でなく、システムの問題ではないのか。人はなんでも、できるという前提がおかしい。論説委員なんて専門委員があって、それだけやるなどというのも変だ。不可能を前提にしたシステムなら、それはやめるべきであろう。できないということのないシステムを考えるべきであろう。
 自分もノイローゼ現象に陥ることがあるが、その多くは出来ないことを無理にやろうとする時に、おきる気がする。出来ないことは、できないと言おうと決めると、大体直る。そのかわり、ボケなどという愛称をつけられ、立派な人間とみなされないが、それで首になるとは限らない。
 かの論説委員さんは、朝日の社説がよいと思ったら、「何月何日の朝日の社説にコウ書いてあるのは同感である」とすることを認めたら、考えもない頭から無理にひねり出すより、ずっと客観的で、読者は朝日もそう書いているのか、と知ることになり新聞の意義があように思う。

 もともと何も言うことのない人が、無理にもっともらしいことを書いて、読者の誰がそれを参考にするのか、参考にするのは新聞仲間だけと、この事件が証明している。空論は、小中学生でも述べられる。ためしに自分の子どもに、イラク戦争とアメリカの行動を、どう思うか質問したらいい。エリートの血筋である。そのまま写せばいい社説になるのではないだろうか。メディアは、事実報道することを標榜しているのだから、現実に即したシステムを考えたらどうかな?

ちなみに、同人雑誌が送られてくると、どんなジャンルでも、意見を述べている自分を意識することがある。そのとき「ぼけは、いや、僕はボケモン、いやバカモンだな!」と、思う。何にでも意見を述べるやつの言うことは、まったく聞かなくても生活に支障がないことが多い。、

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2007年2月19日 (月)

藤田東吾著「月に響く笛・耐震偽装」を読む

やっと読了した。読みはじめのときは、アパの建物の耐震不足の公表を待てば、この著作は文芸春秋社から刊行されたかもしれないと、思ったが、最後まで読み通してみると、それは順序が逆で、時系列でみると、この本が出たためにアパの問題が世間に公表されたと解釈できる。政治と政策の社会的構造がよくわかる。
 とくに、この事件を報じたマスメディアには痛烈な視線がそそがれている。メディアが、事実をそのまま報道することを、第一義にしていないこと。大衆の思いたい方向に報道を単純化し、悪者を簡単に作りたがることなどは、多くの人が感じていることであろう。また、大衆はニュースを娯楽として読むという傾向から、面倒な説明を理解したがらないで、解りやすい判断を求めるという傾向も、背景にある。
 耐震強度偽装事件の実情を記録した貴重な著作である。
 これは、文学的に読んでも大変読み応えのある作品で、お勧め本である。特に、逮捕され拘留された時の心境は、切迫感に満ちている。この事件の端緒は、姉歯元設計士の奇妙な性格と発想法から生じたものだ。その被害者である藤田社長の端正な思想と人間性を比べると雲泥の差がある。しかしどちらも、同じ人間なのだ。考えさせることが多い。

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2007年2月16日 (金)

藤田東吾著「月に響く笛・耐震偽装」を買う

この本は、秋葉原の書泉ブックセンターで、在庫があることを期待しないで、入口の受付で、「こういう本なんですけど、取り寄せを頼むのは?」と書名を伝えたら「ああ、これはあります」と、すぐ持って来てくれたので驚いた。持ち歩いて、空き時間があると読んでいる。

 まだ、半分程度だが、これは面白い。しかも、貴重な記録である。イーホームズの藤田東吾社長というと、おそらく何か会社がよくないことをして、有罪になった人程度しか知らないであろうが、まず、そのことは忘れて、この本は読むに値する。画期的な意味を持つ本だ。日本の官僚の実態をリアルに冷静に観察している。「耐震強度偽装事件」の当事者というと、なにか際物めいた印象をもつかも知れない。しかも、官僚システムの被害者である立場から、その経験を語れば偏向に満ちて、恨み文句の続くものと思いがちだが、実に冷静に観察がなされ、著者の姿勢に揺らぎがないので、一貫して論理的である。(それに同感するか、しないかは別にして)。
 
 おそらく著者は当初、官僚の本質に怒りに怒ったであろうが、それを鎮めてよく整理分析しているのに驚く。かつて小泉政権のもとで、田中真紀子外務大臣を追い出した官僚の力学と実力がどのようなものであるか、知ることができないが、これを読むと「なるほど、こういう力学のものか」と論理的に類推できる。
 
 序文に、本来はこの本は、文芸春秋社か出版されるはずのものであったが、アパの耐震強度不足の問題を削除しなければ、出版できないと断られたそうである。アパの強度不足は、すでに経営者も自治体も認めている。現在なら文春でも出版したかもしれない。運命のいたずらか、数奇な運命の書である。

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2007年2月14日 (水)

「週刊 読書人」同人誌評対象作品(よこいさんまとめ)

「週刊 読書人」2007年2月16日・第2675号「文芸同人誌評」白川正芳筆
「余白のとき」臼井紘(「飛天」35号)、「手」中原三枝子(「海塔」41号)、転載「葱と激流(抄)」井上光晴、「葱と激流・解題」和田伸一郎(「クレーン」28号)、「僕の友達」林公一(「静岡近代文学」21号)、「玉砕 少年Mの回想記」穂積実(「白雲」23号)、特集「昭和文学」(「群系」)、「藤沢周平『蝉しぐれ』の原風景」関河惇(「福島・自由人」21号)、「地つづき」荒木田修(「あてのき」31号)

文芸同人誌案内・掲示板より転載

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2007年2月13日 (火)

古本買い取り価格(ブックマート洗足池・蓮沼・1月)

《単行本》
「喪失」森村誠一=600円/「父の晩年」山口瞳=700円/「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー=500円/「フイッシュストーリー」井坂幸太郎=500円/「最愛」真保祐一=500円/「所轄刑事・麻生龍太郎」柴田よしき=500円/「ユナイテッドアローズ心に響くサービス」丸本伊参=450円/「鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール」野口嘉則=350円

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2007年2月 8日 (木)

「文學界」2007年3月号「同人雑誌評」対象作品(よこいさん筆)

「文學界」2007年3月号「同人雑誌評」松本徹筆
「喪失」吉満昌夫(「埋火」40号/東京都)、「河川敷のカスミソウ」奈良美那(「白鴉」19号/八幡市)、「西瓜ノ子ノ奈良漬」鮒田トト(「龍舌蘭」169号/宮崎市)、「夜の光」米沢朝子、「糸」島総一郎(以上「蒼空」11号/高知市)、「やさしい猫」鷹宮さより(「りりっく」16号/川口市)、「約束の日」藍崎道子(「こみゅにてぃ」75号/和光市)、「検索」星野スオミ、「一瞬の交差」長倉茉利(以上「河」137号/東京都)、「シティービュー」大西智子(「樹林」503号/大阪市)、「尻尾」天野律子、「愛しの、パティシェ」島田勢津子(以上「黄色い潜水艦」46号/奈良市)、「家族というダンス」木村礼子(「裸木」30号/東京都)、「棘」しん・りゅうう、「プラネタリウム」笹沢信(以上「山形文学」92集/山形市)、「駅前バスターミナル」桔梗第三(「飢餓祭」29号/大和高田市)、「交差点」黒澤絵美(「文章歩道」48号/高森町)、「高木ゴドー」真銅孝(「樹林」500号/大阪市)、「それは抛れず」藤澤清典(「北方文芸別冊」13号/札幌市)、「虹のつけ根」藤原伸久(「教育文芸みえ」24号/津市)、「観覧車」飛田一歩(「湧水」35号/東京都)、「せん妄」高山夏緒(「藍の会」創刊号/和歌山市)、「垣根の垣根の」井上百合子(「火山地帯」149号/鹿屋市)、「蓮上の嵐」弥生十香(「文学空間」40号/京都市)、「お銀さま」竹山敏子(「時間と空間」58号/小金井市)、「天窓」山之内朗子(「まくた」254号/横浜市)、「鶏頭」桂城和子(「グループ桂」55号/小山市)、「アダンの花」池間久志(「海馬」30号/神戸市)、「小春日和の人々」野沢薫子(「長崎文学」53号/長崎市)、「屍を雨の闇に」中元大介(「海峡派」108号/北九州市)、「綾が瀬」牧沢摂(「蛮族」33号/雲南市)、「X氏の肖像」星励(「内海文学」123号/新居浜市)、「奈緒子と婆ちゃん達」佐藤明美、「ふたつの葬送」藤沢辰雄(以上「雑踏」64号/大和郡山市)、「マイペンライ」崎みち、「海蛍」西村有子(以上「紡夢」2号/茨木市)、「幸福論」秋山千響(「柑橘」14号/さいたま市)、「オカリナの挽歌」森静泉(「狼」49号/高崎市)、「何処へ―カナダからの便り」増谷松樹(「群系」19号/東京都)
ベスト5は、「シティービュー」大西智子、「夜の光」米沢朝子、「家族というダンス」木村礼子、「棘」しん・りゅうう、「河川敷のカスミソウ」奈良美那

よこいさんのグループ「木曜日」

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大相撲八百長論の不思議

週刊誌が大相撲の八百長を論じているらしい。人の話では、朝青龍の4番がホントであとは八百長だとか。
 そんなに八百長ができるなら、なぜ相撲人は引退するのだろう。お互いに星を融通しあえるなら、全員が一場所負け越しを作りあって、やりくりすれば、誰も引退なんかする必要がない。

それより不思議なのが、曙や他の相撲取りは、体力の限界を感じたといって引退している。
それなのに、引退後にプロレスやK-1はできるんだよね。
プロレスやK-1は体力が必要ないってことを証明している。よれよれの爺さんでも現役でやれるってことかな?プロレスとK-1は。

週刊誌は、苦しくなると、過去に売れた話題を蒸し返して、売り上げを上げようとする。だいたい相撲の八百長を問題にする人に、金持ちはいない。

ただし、私が、考えたり疑問に思ったりする事柄は、おかしいらしく、ボケという別名をもらっているので、利口な人は週刊誌を信じた方が無難でしょう。

もともと、相撲は神様に力の強さを見せるための神事だから、勝ち負けがどうのこうのというものではない。全部八百長であっても、面白いから見る人は絶えないだろうと思う。

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2007年2月 7日 (水)

雑誌・書籍販売額は2年連続減

出版販売科学研究所が、06年の推定販売額を発表。書籍と雑誌を合わせた総額は対前年比2・0%減の2兆1525億円と2年連続の減少。教養新書や児童書が好調な書籍が1・4%増。雑誌は4・4%減と9年連続減少。落ち込み幅も過去最大。
新書が好調なのは、比較的手軽にまとまった知識が得られるから、らしい。「バカの壁」以来、読んでも解ったようなわからにような気分になるが、わからなくても安いからそれほど後悔しないところがミソか。

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「頌(オード)」26号より(2)

【「アレハンドロ・アメナーバル監督作品論」(1)「海を飛ぶ夢」小原優】
怪我で四肢が麻痺し、寝たきりの男が自死した事実があって、それを題材にした映画の評論。生と性、死の意味を追求する評論となっており、完成度は高い。映画館にいってプログラムを買ってもこれほどの論評は期待できないであろうと思わせる。

【「花火」杉本暁】
健康診断ドッグで短期入院していた男。死の病に侵された父親を看護しに通う女子大学生に出会う。女子大生への不可能愛を、中年男の“萌え”意識的に描く。静謐な筆遣いが、好ましいが、形式美が勝って、内容の詰めが弱いのが惜しい。

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2007年2月 6日 (火)

「頌(オード)」26号より(1)

「創作と批評」という副題のついた瀟洒な?同人誌である。
詩で、佐藤裕「犀川のほとりで」がある。100年前、少年の室生犀星がここで寺男をして過ごしたという話にからめて、文学の土壌の非生産性を示す。
「百年が経ち サラリーマン小説家や詩人が輩出し/己の人生を 才能に託さなくなってから 久しい」
というフレーズが懐かしいーー。
ひと昔前は、自分の才能に疑問をもって、進むべきか、退くべきか自問自答する創作者の精神の現れた作品が少なくなかったように思う。現在の同人誌で見る限り、みな妙に自信満々、じぶんの才能に疑問を持たないように思える作者が多いようだ。それだけ、文学に芸術性を求めることがなくなったということであろうか。売れればよいとする精神の産物は、芸術とは無縁であることは、ここで再三のべているが、100年前は芸術性があれば認められるという価値観あったということを認識させられる詩であった。

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2007年2月 2日 (金)

90歳の現役作家・伊藤桂一氏

作家・伊藤桂一氏の90歳にして現役を祝う会として、
穂高健一氏がネット記事配信
穂高氏自身も小説教室講座の講師をしているが、その指導の基本は伊藤桂一氏の小説作法にあるとコメントしていた。

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