吉本隆明に希望を与えた詩人・秋山清の「コスモス忌」
17日に、秋山清(1904年~1988年)が、没して以来、続いてきたという「コスモス忌」の集まりに参加した。秋山清については、会の招待を受けるまで知らない詩人だと思っていたが、出かける前に詩集などを出してみたら、木材関係の仕事をしていて、木場から新聞のようなものを出しながら詩活動をした人とあり、そういえば、少し記憶が戻ってきた。
金子光晴と共に戦時中も反戦詩を書いていた人だという。金子光晴は、小説は読んだことがあるが、詩は彼についての評論を読むだけで、関心が深くなかった。秋山清は、金子と双璧をなす抵抗詩人であったという。
「秋山清著作集」全12巻(ぱる出版)の解説に吉本隆明氏が、長谷川龍生氏に「白い花」という詩をみせられて「ああこんなに嘘のない真っ当な抵抗詩を戦争期に書き記していた詩人がいたんだと知って、大げさにいえば、生きていけると納得された。その詩のなかのヒメエゾコザクラという極北の島に咲いていたと秋山清が記している草花と、その詩人の名は、誰がどう言おうと、わたしのなかで不朽のものになった」などを、記している。
その長谷川龍生氏が秋山清と小野十三郎とをからめた講話をし、その後、マンガ評論家で、骨董の本「骨董遊行」(「北冬書房」筆名・梶井淳)の著書をもつ編集者の長津忠氏が、共に「反戦詩集」を編集した秋山清について語った。
長谷川龍生氏については、40年ぐらい前に新日本文学会の詩講座の講師をしたときに、受講したことがあり、78歳ながら髪も黒々し、元気なので驚かされた。長谷川氏の師である小野十三郎が東京にいるとき、アナーキストと目される人たちに資金提供をした、と官憲にひっぱられ、それを契機に大阪に戻ったという話もしていた。出席者はそれぞれ、独自の詩活動をしてきた実績のある人たちのようであった。
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