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2006年12月18日 (月)

吉本隆明に希望を与えた詩人・秋山清の「コスモス忌」

17日に、秋山清(1904年~1988年)が、没して以来、続いてきたという「コスモス忌」の集まりに参加した。秋山清については、会の招待を受けるまで知らない詩人だと思っていたが、出かける前に詩集などを出してみたら、木材関係の仕事をしていて、木場から新聞のようなものを出しながら詩活動をした人とあり、そういえば、少し記憶が戻ってきた。

金子光晴と共に戦時中も反戦詩を書いていた人だという。金子光晴は、小説は読んだことがあるが、詩は彼についての評論を読むだけで、関心が深くなかった。秋山清は、金子と双璧をなす抵抗詩人であったという。

「秋山清著作集」全12巻(ぱる出版)の解説に吉本隆明氏が、長谷川龍生氏に「白い花」という詩をみせられて「ああこんなに嘘のない真っ当な抵抗詩を戦争期に書き記していた詩人がいたんだと知って、大げさにいえば、生きていけると納得された。その詩のなかのヒメエゾコザクラという極北の島に咲いていたと秋山清が記している草花と、その詩人の名は、誰がどう言おうと、わたしのなかで不朽のものになった」などを、記している。

その長谷川龍生氏が秋山清と小野十三郎とをからめた講話をし、その後、マンガ評論家で、骨董の本「骨董遊行」(「北冬書房」筆名・梶井淳)の著書をもつ編集者の長津忠氏が、共に「反戦詩集」を編集した秋山清について語った。 

長谷川龍生氏については、40年ぐらい前に新日本文学会の詩講座の講師をしたときに、受講したことがあり、78歳ながら髪も黒々し、元気なので驚かされた。長谷川氏の師である小野十三郎が東京にいるとき、アナーキストと目される人たちに資金提供をした、と官憲にひっぱられ、それを契機に大阪に戻ったという話もしていた。出席者はそれぞれ、独自の詩活動をしてきた実績のある人たちのようであった。

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2006年12月16日 (土)

「零文学」第4号を読む(2)

【「『詩』と『詞』の間」鈴沢健一】
ミュージシャンが、作詞と作曲の関係を語る。詩をつくって、それを曲にするまでの過程が実作者の立場から明かされるので、まさに詩の現在ではある。作詞は「歌われる理由と作曲された理由とのキャッチボールの中から音楽が発展してゆく」という。方向性がぶれないことをよしとするところは、創作活動全般に通じるものがある。

【「現代詩の出発点」那住史郎】
文学活動の戦争時と戦後の態度の違いが、それぞれの運命を変えたことを指摘、そこから「荒地」の活動のおける川崎洋と今年の春先に80歳で孤独死した茨城のりこの活躍をたどる。簡潔さと大胆な分析で、歯切れの良い解説になっている。幾すじかの道のうちの、ひとつの方向性がシャープに示されているからであろう。雑誌には、この作者によるコラムがいくつか挟み込まれているが、よく、かすがいの役を果たしているのを感じる。リトルマガジンへのセンスを感じさせる。

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2006年12月12日 (火)

詩人・原かずみ作品「廃墟守」を読む

それは呪われるべき絆なのか? 江 素瑛・投稿
 多摩川の流れる地方に住んでいる、原さんは、川の美しい水影の裏に、潜むさまざまな生物の姿を詩の原点にし、社会問題点を考えさせられる。
絆という束縛は、親子関係が成立している以上は避けたくても常に付きまとうものだ。単親家庭は単親家庭を生み出す。なんと悲しい絆だろう。

「廃虚守」

穴だらけの部屋は
朽ち果てた神殿のようにも見える
廃墟のようにみえる神殿の片隅で

(中略)

母と娘はすれ違った朝を迎え
たがいに目をそむける
母は儀式のように
円いテーブルに朝食を並べ
冷ややかな舌に祝詞をのせる

(中略)

出口を探して
娘は
ある日
丘を降りていってしまった

(中略)

娘は
母となってもどり
また神殿の片隅で
朝をはじめる  

幼いいのちを抱いた
新しい守人は
蜂の巣のような神殿に
母と同じ
細い朝餉の煙を上げる

原かずみ 詩集「オブリガート」(土曜美術出版販売)より         

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2006年12月11日 (月)

「零文学」第4号を読む(1)

文学インディーズ・マガジン「零文学」とあるが、たしかに同人誌といより、現在の時代性をよく表現している内容のようだ。特集「詩の現在」が柱になっている。文芸同志会も詩人との接触が増えている。現在の流れを把握した企画に受け取れた。

【「世代を超えて生きる立原道造の世界」君島有純】
まず、東京大学のすぐ脇にある立原道造記念館の探訪記を入れているところに、現代性への関与が主張されている。その分、概論的で詩世界への導入力は薄いが、これは、一般性をどう維持するかとの綱引きで、やむ得ないところか。レポーター的姿勢が、同人誌とはやや異なるリトルマガジンらしい角度から視点である。詩が行を変えた散文ではないこと示す作者の感想も味付けになっている。

【「現代詩の最前線・詩人は社会とどう関われるか」那住史郎+木原健】
新鋭詩人・53(GO SAN=ゴーサン)の存在や、詩のボクシングの状況などが語られる。詩の文化力というか、市民のなかでの浸透力と活動の力強さが伝わってくる。詩だけではなく、同人誌の小説にもあてはまるテーマ。

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2006年12月 2日 (土)

同人誌「日通文学」が701号で休刊

文芸同人誌として60年の歴史をもち、常に質の高い作品の発表の場となってきた「日通文学」(豊田一郎編集長)が701号、12月号で休刊となるという。出発点は、日本通運の労働組合員を読者とする働く人の文学だったようだ。いまでも読者数は最大級の文芸同人誌ではないだろうか。時代の流れで、仕方がないのであろう。労組の組織力低下のなかで、よく、文学性重視主義を貫徹したとも思える。編集長の豊田一郎さんは、全作家協会の会長もしているので、今後は「全作家」に力を入れるという。

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