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2006年11月30日 (木)

作品紹介「婦人文芸」82号(東京都)より

【「降らなかった雨に」福島弘子】
定年退職した夫が身の回りの品をまとめて家をでて、海辺のリゾートマンション住まいを始めてしまう。語り手の「私」は、一人孤独のなかで、夫との出会い場面や、結婚生活を回想する。その中で、夫が長い家庭生活において、雨にたたずむような心境があったのではないか、と思い当たる。そして、ある日、夫から海辺のリゾートに来ないかという、電話が来る。時代と生活が実感をもって描かれ、同世代には、身につまされるものがある。こういう身辺小説は、私小説とは限らないが、同人誌でないと読めないジャンルになってしまったなあ、と思う。

【「影絵」音森れん】
捨て子であった忠雄という男生涯を、同じ町の住人としての視点で描く。不幸の元に生まれ、生涯を他人に与えられた家族のために尽くして生きる男。人間の清純な一途な思いを、描いて胸を打たれるものがあった。「無法松の一生」よりも低い音声の悲しい人間の唄のようだ。

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2006年11月26日 (日)

「胡壺 KOKO」第5号(福岡市)=発行・花書院

【「タイドプール」柳川裕子】
おれは、アルバイターでモイ子という女性と同居している。男女関係があったことはあったようだが、彼女は目下、銀行の課長と交際しているらしい。おれは尿漏れが止められない病気で、夜尿症の常習となっている。そのため、年中尿の臭いと縁が切れない。読者としては、理論的にオムツバンツをしないのが不思議だが、そうしたら書く意味がないのであろう。生活する部屋の下の部屋の子どもの騒ぐのが、うるさくて、迷惑な様子が描かれる。これも、理論的には上の階の方が自然だが、これも、下の階でなければならないらしい。設定は面白いが、作者の伝えたいことが、よくわからず、ベータバージョン的作品に読める。むずかしい小説の書き方を好むのか、それとも感覚的なものを表現で追っていったらこうなったのか。セリーヌやジュネを読む書き手のようなので、その影響?

【「水を掻く水母」桑村勝士】
違法な刺し網漁業をしなければ生活できない漁師とそれを取締まる管理員との葛藤が描かれる。文章の歯切れがよく、テーマも明快。商業雑誌にのっていても、おかしくない程の完成度をもつ。余計な色模様もつけずに、テーマに骨太に取り組んで、力強い。生活の色に染まった海というのは、部外者が眺める海とは、色がちがって見える。夜の海となれなおさらである。それが見事に描かれている。読んで気持ちがよい。と、感心するのは私だけでなければいいな、とも思う・・・。

【私の気ままな愛着本紹介・パノス・カルジノス著「石の葬式」・納富泰子】
熱のある作品紹介と批評で、是非、読みたくさせる。文章に弾力があり、惹きつけられる。こうありたいもの。

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2006年11月23日 (木)

「照葉樹」第2号(福岡市・櫂歌書房)

「【「星垂る飛ぶ」垂水薫】
視力を失ってしまったか、失おうとしている段階の女性が親を捨て? 夫と暮らし、子を得るが、それも独立。夫に愛人が出来たことで、離婚し、蛍のいる川にきて、その気配を味わう。そのいきさつが、独白で語られる。人生は走馬灯の如し、という感覚を、幻想化し、具体的に物語化してみたように読める。短い小説の中に、長い人生の物語を読んだような、読後感を与える濃縮技術に特徴を感じさせる。テクニシャン。

【「夏トカゲ」垂水薫】
クラスのガリ勉強タイプの中学生と、ツッパリ系の同級生が、なぜか秘密の空き家を見つけ、トカゲを飼うことになる。荒れた家庭のつっぱりと、普通の家庭のガリ勉との心の通いあう手法が、手順よく描かれる。作者が小説とはこうでなければならないという、哲学の存在を感じさせる。それとは、関係なく、トカゲの描写が秀逸で、魅了される。おそらく対象物の細部を描くのに、趣好を持っているようで、この才能が今後の作者の独自性と飛躍を予感させるような気がした。意識的な鍛錬を期待したい。

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2006年11月21日 (火)

文芸中部73号・堀井清「夜のあかり」を読む

主人公の浦野の幼馴染の友人の自殺と、浦野の家庭の転居に至るいきさつと、それが取り止めになり、浦野がそれを機に家を出て、ビジネスホテル暮らしをするまでが、描かれている。このなかのデテールに優れたところがあるのを見ると、それが描きたかったのかなと推察される。

現実的な情景と場面の連続が、意識の変遷のように思える面白さと丁寧さが楽しめる。作者が楽しみながら書いているようなところが、テーマの重さをまともに受けさせなところもある。

 ただ、テーマは二つあるらしいのに、地域的に同じ場所で、同じ主人公の体験を2つ続けて描くのみというのは、短編に向いていない。あらすじを紹介するにも、2つの話の種類をどうつなげてまとめるか戸惑うところがある。
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2006年11月16日 (木)

井上武彦「異色作家」を読む

作中でも、なぜ小説なんぞを書くのか、という問答を小実昌とするところがあるが、たしかに信仰に入りながら、なぜ信仰心から離れたかのように見える技術の要求される小説を書く必要があるのか。説教と小説の根本的な差異を考えさせられる。

この小説には、田中小実昌を描くことで、彼の小説の構成の無作為性をそのまま、活用しているところも見受けられる。その意味で、作者は田中小実昌の分身化に成功しているようにも思える。

奇妙なことに、伊藤桂一、駒田信二、その他、四日市には作家が輩出している。かく言う私は、田中小実昌の翻訳本を多く持っている。翻訳でありながら、日本語として融合させる、文章名人という意味で、崇拝している。彼がバスに乗って、映画を見に行った場所も、私もかつて通った記憶があるところである。

異色作家として田中を描く作者の視線は、田中小実昌を、悟りを開こうとする修行僧でも見るように描く。それは、まるで作者の信仰者でありながら、作家であることの葛藤を田中小実昌が答えを出しているのではないかという、探究心のもたらすもののようだ。
小説の構造も小実昌流に近づいているが、このような視線で作家像を描くのは、この作家にして初めて、出来ることかもしれない。

小説表現と信仰との微妙な関係に戸惑うことは、そのテーマそのものが、大衆性をもたない。その意味でこの小説は、同人誌でなければ世にでることのない、純文学のなかの純文学ではないだろうか。

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2006年11月15日 (水)

「文芸中部」73号作品より

事務所にどういうわけか、宇田本次郎氏が、やってきていた。同人誌「砂」の編集担当で、原稿を響印刷にもってきたのだという。出光美術館に行って、陶器の名品を見てきたそうで、かなり感銘を受けているようだった。彼は聖跡桜ヶ丘で「陶里庵」という骨董店を経営している。先日、隠れた陶工を求めて、九州まで足を運んだが「目当ての陶工が2月に亡くなっていたんだ。せっかく発見した陶工なのに」と残念がる。こちらは、用事があってお先に失礼。

「文芸中部」73号を電車のなかで開く。井上武彦「異色作家」を読む。井上氏は直木賞候補になった「死の武器」の作者である。これを読んだ三島由紀夫が、その影響で執筆中だった「豊穣の海」の方向が決定付けられたのではないか、という文壇的解釈と作者の解釈の合成された流れを語ることから始まる。それから、瀬戸内晴美が寂聴に変わるまでの交際とその後の、交流を描き、さらに四日市で同級生であった田中小実昌の交流を描く。

前半は、文壇的な知られざるニュース情報を読む感覚で、なかなか面白く読ませられた。それから、どうなるのか、と思って読むと田中小実昌の「異色作家」ぶりが描かれる。このあたりから小説として力が入ってくる。田中の父が神父であったことと、文芸講演に招待し、そのときの再開の様子の一連の描写は、力まずして力が入っており、作者自身のテーマに肉薄していく。この段階で、作者が、いわゆる信仰と小説芸術との関係に、強い関心をもっているのがわかる。それがのっぴきならぬテーマとして浮かび上がってくる。(つづく)
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