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2006年9月21日 (木)

同人誌「かいだん」第55号作品紹介

同人誌   「かいだん」第55号(小金井市)     発行日=060708

【「江華銅鐘」田川肇】
「私」の父は、朝鮮時代に教師として今の韓国に行く。そのときの父親と親しくしていた教師の子供であった柳吉成とは、長い親交がある。その彼が亡くなり「江華銅鐘」という文化財の縮尺模型が送られてくる。そこから、韓国に旅し彼らと交流してきたエピソードが語られる。抑制された筆致で、韓国の風土と、そこに住む人々への愛着が語れる。複雑な感情の行き交う国でありながら、国境を越えて、お互いに今ここに生きる人間として心情が、表現全体に行き届いている。

【「午後の食卓」田村加寿子】
農家をする語りでの法子と実家の姪の織江は乳姉妹らしい。その織江一家の身の上に起こる出来事が語られる。かなり読み進むと人物のそれぞれの状況が理解でき、面白く読める。2頁まで読んでも、誰がどうした話なのかわらないのが特徴。同人誌の小説に詳しい友人の話によると、同人誌では意識的に分かりにくく書いて、含蓄を持たせるのが、純文学の技術と評価されるそうだ。たしかに文体に工夫のあとが見られるので、そうなのかも知れないである。

【「朝倉」芹澤満】
知佳という若い娘のいる一家。素直で性格の良いその知佳の運転する車が、スピード好きの女性に追突され、重体になる。そして、間もなく死んでしまう。事故前の知佳のさりげない生活ぶりを前段に間接的に入れているのが効果的で、一気に感情移入させられる。周囲の人の見舞う様子や、ボーイフレンドの愛惜する姿など、加害者への怒りと悲しみが、情感をもって身に沁みて伝わってくる。上官事故の加害者の態度も、よく見られる風景だが的確で、読者に悲憤の情を呼び起こす。交通事故死は統計上の数字にすると、日常的なことではあるが、それを具体的に個人の運命として描くことは文学のもつ力の優れた特性であることを教えてくれている。

【「うさぎが跳ぶ日に」石川久仁子】
東京生まれで50歳になる圭二という男が戦後を生き抜いてきた過程を回顧する。青春期を伊豆で過ごした過去から、当時の高校の教師が退任するので、その送別会をするというので真鶴岬に寄ったりしながら、昔の同級生がやくざになって、その姉に秘かな恋心を抱いていたことが語られる。箱根と伊豆の情景とそこで、父母から温泉饅頭を食べさせてもらった思い出など、大切な思い出になっている様子など、その心情を細部がきめ細かく描かれ楽しませる。添別会で地元にいる同窓生から、この教師が大変な俗物で、好きだったやくざの姉を妊娠させて捨て、彼女は自殺したとわかる。この辺からミステリー的な進行になって、圭二はその教師を海辺に誘い殴りつけて終わる。ストーリから考えると無駄な話が多い、その無駄話的なところが、一番身につまされて読める風変わりな物語である。
                                    文芸研究月報2006年8月号(通巻68号)より

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2006年9月16日 (土)

昔の文壇バー”マ,ヴィ”の話

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2452743/detail

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2006年9月15日 (金)

選者が選べる「キング文章王」

http://x-king.jp/blogs/bunshoo/index.html

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2006年9月13日 (水)

同人誌「創」第1号作品紹介

同人誌    「創」第1号(名古屋市)発行日=060901
【「翔んじゃった」朝岡明美】子供が結婚し、夫婦だけの生活になった主婦が、それなりに新しい生活をするために、夫と顔を付き合わせる暮らしを離れ、旅行をしたり、合唱団に入ったり趣味で交際を広げる。合唱コンサートに友人、娘夫婦と夫の姿が見える。ささやかな飛翔を語る。読後に夫の内面がちょっとばかり気にかかるのが、ミソといえばミソ。
【「ともしび」渡邊晴美】出張で行った町の夜、ラーメン屋台に立ち寄る。屋台の親父は不愛想だが、なにか事情があるそう。話を聞くと阪神大震災で、家族と中華料理の店を失い、孤独な再起をはかっているところだとわかる。掌編なので、説明は足りないが、スポットライトをあてるように、被災者の心情を偲ばせる書き方でなかなか印象の強い作品。
【「括りの糸」安藤敏夫】戦後の混乱期が過ぎた頃の時代であろうか、大会社のサラリーマンをしている主人公が、娼婦の少女と恋愛感情を持つようになる。少女は有松絞りと三浦絞りの浴衣地をつくる特技をもっていて、商売の暇を見つけては、織っている。やがて、少女は行方を探していた親に見つかり、実家に帰る。男が定年を過ぎて、関西に行くと、有松絞りを継承しているその女に出会う。何事も関係に人情が豊かであった時代をしのぶような話。

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2006年9月11日 (月)

言壷の赤井さんが豆本で国際デビュー

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2429949/detail

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2006年9月10日 (日)

文芸中部

同人誌「文芸中部」72号(東海市)発行日=060701

【「白い公園」十文字崇】

 「私」は息子夫婦と孫たちと同居しているが、妻を病気で亡くした後、孤独である。妻は趣味で書道をしており、初めて病気で倒れ救急車で運ばれたとき、そばに居たのは、玉木という同好の趣味仲間だった。その後、再び倒れ死に至るが、その直前にも玉木がいて、結果的に彼に介抱され死んだのであった。家族からの孤立と妻の心を他の男に奪われていた夫の独白で小説は展開する。読みはじめるとたちまち、「私」の瞑想的思弁に引き込まれる。小説の雰囲気作りが巧みで、まるで静かな音楽を生み出すような創作意識の高さが感じられる。これは自分の狭い嗜好なのかも知れないが、同人誌でこういうものを読めるとは、望外の幸せであった。

【「人形を抱く」朝岡明美】

 藤川裕美子の一家は、念願のマイホームを建て、引っ越してきたところ、隣に武田志乃という80歳の女性が独り住まいをしている。認知症になりかけているらしく、ゴミ捨てもきちんと日時を守れない。手助けしてなどしているうちに、家庭の事情が判ってくる。北海道にいる息子は50を過ぎていて、たまに志乃の様子を見に来る。その中で、志乃が孫のお守りをしていて、眼を離した隙に車に引かれて死なせてしまい、それがトラウマとなって、家族と疎遠になっていることがわかる。短編なのに裕美子の視点と志乃の視点とが移動しているのは、必然性に欠ける感じがする。

【「復活の花」西澤しのぶ】【「浄月庵」沼田景子】【「『わがイエス・キリスト』-ガン告知を受けて」井上武彦】

 3作とも、キリスト信仰との係わりから書かれているという共通点を持つ。そこでわかるのは、神は人それぞれに異なった顔で存在するということ。作者の心に存在する神は、その人だけのもので、一般人が共有できるものではないので、その表現法には難しいものあるということを感じた。

「文芸まるかじり」06年8月号より

…………………… ☆ …………………… テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例 連携サイト穂高健一ワールド

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2006年9月 7日 (木)

「孤帆」vol.10( 東京都・小金井市)作品紹介-2-

【「ヘルメットの住人」奥端秀彰】

バイク便の若者が、都内を宅配する過程の道中記。ヘルメット内に携帯電話が自動交信できるようになっているのがミソで、外部との交渉は見えないところにいる、彼女や妹やこわもてのお兄さんなど。そこで宅配途中に児童虐待の母親にでくわす事件がからむ。かなり面白い。バイク便の仕事の様子が生き生きと描かれている。手法の開拓に成功している。この手法で、ミステリーも出来そう。

【「迷子のドライブ」淘山竜子】

 育江の思春期の時期に、父親が離婚し、再婚したのが久子であった。社会人となった育江は久子にその時期の恨み言を伝えたく、電話をするがつながらない。作品はそうした気持ちになる育江の大学生活の延長のような、職場生活が語られる。そこで知り合った彼氏との関係の過程で、彼の車に乗って久子のところに行き、鬱屈した不満を久子に伝える。とりたててストーリーというほどのことはなく、日常が文芸的に工夫して描かれている。目先的には、彼氏との関係にも足を踏み込めない、その曖昧さが、主人公の不安、心もとなさに通じている。リアルであってリアルでない、ところに味がある。

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2006年9月 6日 (水)

国際社会が決める国家の運命

 日本は自ら経済大国と自認しているが、事実は小国だからわざわざ経済大国とするわけだ。

 日本外交が米国や中国、ロシアの狭間でどう進路をとっていくか、一時的なナショナリズムの感情に左右されてはならないであろう。

 台湾の事情は、よそごとではない。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2404519/detail

 

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「孤帆」VOL .10 作品紹介     

同人誌    「孤帆」VOL .10      発行日=060811

【評論「姥捨山と老人の不安」沢村芳樹】

これは、評論であるが、筆者の僕という形で、日本の財政・健康保健制度の概略と人間が死ぬことによって、社会体制の海に浮かぶボートの外に押し出されることの意味を確認している。小説として読むと読者もまた主人公とされる。その意味で、ここには現代のある種の小説において見られる、主人公の自我存在の曖昧さ、実在感の薄さからくる捉えどころのなさという、本号のほか小説のいくつかにも見られるようなわかり難さの欠点をもっていない。小説が、現実から生じる個人の感性のある面を誇張することでも成立する。その際には、主人公が、どのような社会に所属し、どのような制度で生存しているかは、問題にされない。この情報の多い現代において、こうした作風の主人公の姿は、固定しない自我、変貌する人格という特性をもつため、類似の体験をしたものだけが、かろうじてその意味することが理解できるものとなり、普遍性を失う。その反対なのが、時代小説であろう。時代小説において、それが平安時代であるか、江戸時代であるかを示すことなく書かれることは少ない。だから多くの大衆の読者を獲得するのではないだろうか。この評論は、われわれの制度のなかでの社会的存在の意味を追求する力作であるが、こんなことも考えさせられた。

【「RECORD OF ANCIENT MATTERS」塚田遼】

 父と母は兄妹だった。――で始まる「俺」の物語。冒頭が示されているように、犯人が内なるところにあるハードボイルド小説に読めた。

【「遅延」上杉製作】

 ゲームというのをやったことがないので、よくわからないが、すべてゲームのスタイルを導入した小説のようだ。よく現代は、現実とゲームの見境がつかない状況にあるとされるが、まさにこの作品はゲームリアルとゲームバーチャルが交差する。したがって、始まりからバーチャル設定的なものを感じさせる。そこから状況シーンの連続接合で、それからどうしたという物語的面白さはないが、それなりに実験的面白さがある。

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2006年9月 2日 (土)

ホリエモンマネー230億円が凍結?

9月2日の日刊ゲンダイによると、ホリエモンが230億円の現金とライブドア株券をスイスの隠し口座に貯めこんでいて、これらの口座は逮捕直後、スイスの捜査当局により、凍結されていると報道。

ライブドア粉飾決算事件は、まだ有罪が決まったわけではない。もちろん、裁判官が有罪にすることに決めてあるにしてもである。スイスの捜査当局がなぜ資産凍結を決めたのかもわからない。

大新聞は、当初、隠し金をスイスに預けているから、犯罪だと報道していたが、最近黙ってしまったのので、それが犯罪になるとは限らないと分かってきたためだろうと思っていた、またぞろ出てきた。

大体、匿名投資ファンドというのは、以前からあって名乗らなくてもいいとなっている。村上ファンドもかなりあちこち出資しているだろうし、全部公開したら思わぬ団体の名が出てくるかもしれない。誰が、隠しているのかを確認するには、全部公開してみないとわからないであろう。ライブドア裁判で公開されるかもしれない。楽しみだ。

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2006年9月 1日 (金)

【〈しんぶん赤旗〉8月文芸時評】《岩淵剛》

060830SAK【〈しんぶん赤旗〉8月文芸時評】《岩淵剛》

《対象作品》佐川光晴「子どもにつづけ」(群像)/星野智幸「植物診断室」(文学界)/仙洞田一彦「ハッピー・バースデー」(民主文学)。

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