同人誌「かいだん」第55号作品紹介
同人誌 「かいだん」第55号(小金井市) 発行日=060708
【「江華銅鐘」田川肇】
「私」の父は、朝鮮時代に教師として今の韓国に行く。そのときの父親と親しくしていた教師の子供であった柳吉成とは、長い親交がある。その彼が亡くなり「江華銅鐘」という文化財の縮尺模型が送られてくる。そこから、韓国に旅し彼らと交流してきたエピソードが語られる。抑制された筆致で、韓国の風土と、そこに住む人々への愛着が語れる。複雑な感情の行き交う国でありながら、国境を越えて、お互いに今ここに生きる人間として心情が、表現全体に行き届いている。
【「午後の食卓」田村加寿子】
農家をする語りでの法子と実家の姪の織江は乳姉妹らしい。その織江一家の身の上に起こる出来事が語られる。かなり読み進むと人物のそれぞれの状況が理解でき、面白く読める。2頁まで読んでも、誰がどうした話なのかわらないのが特徴。同人誌の小説に詳しい友人の話によると、同人誌では意識的に分かりにくく書いて、含蓄を持たせるのが、純文学の技術と評価されるそうだ。たしかに文体に工夫のあとが見られるので、そうなのかも知れないである。
【「朝倉」芹澤満】
知佳という若い娘のいる一家。素直で性格の良いその知佳の運転する車が、スピード好きの女性に追突され、重体になる。そして、間もなく死んでしまう。事故前の知佳のさりげない生活ぶりを前段に間接的に入れているのが効果的で、一気に感情移入させられる。周囲の人の見舞う様子や、ボーイフレンドの愛惜する姿など、加害者への怒りと悲しみが、情感をもって身に沁みて伝わってくる。上官事故の加害者の態度も、よく見られる風景だが的確で、読者に悲憤の情を呼び起こす。交通事故死は統計上の数字にすると、日常的なことではあるが、それを具体的に個人の運命として描くことは文学のもつ力の優れた特性であることを教えてくれている。
【「うさぎが跳ぶ日に」石川久仁子】
東京生まれで50歳になる圭二という男が戦後を生き抜いてきた過程を回顧する。青春期を伊豆で過ごした過去から、当時の高校の教師が退任するので、その送別会をするというので真鶴岬に寄ったりしながら、昔の同級生がやくざになって、その姉に秘かな恋心を抱いていたことが語られる。箱根と伊豆の情景とそこで、父母から温泉饅頭を食べさせてもらった思い出など、大切な思い出になっている様子など、その心情を細部がきめ細かく描かれ楽しませる。添別会で地元にいる同窓生から、この教師が大変な俗物で、好きだったやくざの姉を妊娠させて捨て、彼女は自殺したとわかる。この辺からミステリー的な進行になって、圭二はその教師を海辺に誘い殴りつけて終わる。ストーリから考えると無駄な話が多い、その無駄話的なところが、一番身につまされて読める風変わりな物語である。
文芸研究月報2006年8月号(通巻68号)より
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