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2006年8月15日 (火)

鶴樹の「肉体の変奏」-43-

 おれは、椿博士をみつめた。だぶついた白衣に、前かがみになった姿勢。小刻みにふるえる身体。血管の浮きでた皺だらけの腕。最高の頭脳を自負する。最低の肉体。どんなに知能を誇ろうとも、頭脳もまた肉体の一部なのだ。椿博士は、あまりにも頭脳や知能を買いかぶり過ぎてはいないか? 老いぼれて、憂欝病にとりつかれたその姿は、何かに復讐された邪悪な動物のようだ。

 たしかに、人間でいるときのおれは、ろくな奴ではなかったかも知れない。だが、無意味、無価値とは思わない。おれが役立たずな人間だとしても、大きなお世話だ。それこそ、おれはお前らの注文でつくられた料理ではないのだ。他人の道具でもない。お前らの都合にあわせて、価値を決められてたまるか。エリート面もいいかげんにしろ。おれが、この世に生まれた意味や価値など誰にもわからない。分からないでいいのだ。しかも、そんな奴だって何百年も生きて、この世に迷惑をかけるわけではない。いずれは自然の摂理で土に埋められる運命なのだ。そんなはかないものに価値づけをしたからといって、どうなるものか。おれの全身の血が駆けめぐり、そう叫んでいた。

 デラ夫人だってきっと、それまでの研究者としての人生をゴリラになってまで続けたいとは思っていなかったのではないか。椿博士はこうした人間の気持ちが判らない。奴が何に苦しもうが、おれの知ったことか。死ぬまで憂欝症に苦しんだらいいのだ。当然の報いだ。

 そう考えると、腹の底から怒りが込み上げてきた。突然、喉が震えた。咆吼が出た。知らず胸をたたき、ポコポコというドラミングをしていた。

「おお、どうしたんだ。ゴリラが変だぞ。博士、おとなしくさせろ」 鈴木が、あわてて叫んだ。モーリスが、由美をかばって、後ろにまわし、おれに銃口を向けた。どういうわけか。奴は由美にぞっこんらしい。

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