鶴樹の「肉体の変奏」-40-
「聞こえは悪いが、そんなところだ。生田目という男は、ほかの病院をタライまわしにされて、死んで運ばれてきたのだ。わたし以外に誰も彼を助けようとはしなかった。いや、ほかの医師では助けられなかつたろう。かれの生命はわたしのものだ。捨てられた物を拾ったのだ。だいいち、彼がこの世に居なくなって、誰が困るというのかね」
博士は唇を醜くゆがめて、苦笑いをした。
「この男は、金のあるのが取り柄の俗物だ。高級車を乗りまわすしか他に能がないのだ。女をかかえて、威張りくさって、高いレストランに出入りする。なぜ食事をするのに、高いレストランでなければならないのか。理由は言うまでもない。金の価値が、本人の価値だと他人が錯覚してくれるのを、期待しているのだ。無理もない。実際、世間というものは、額に札束を貼り付けて歩く人間を尊敬するからね」
そこで博士は、復讐心が満たされたような表情になった。
「そうではないかね。生田目君の元夫人。あなた彼に金があったから結婚した。その彼は、遺産目当ての親族からは、死ぬことを望まれているだけの人間だったのだろう。実にこの世界には、そんなやつが、掃いて捨てるほどいる。彼はまったく無意味な連中のひとりだった。……それにくらべて、私の家内はどうだ。デラは世界でたった一人の、かけがえのない存在だ。彼女の頭脳とひらめきは、人類の財産なのだ。生田目君はかつては無価値な人間の肉体だったが、デラの存在を支えることで、人類科学の向上に貢献できるはずだった。その当時より、今のほうがよっぽど人間的で、尊厳のある生活をしているのだ」
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