鶴樹の「肉体の変奏」-25-
テレビ局の取材が、その後、数回あって、断続的に放映されたが、医師はあたかもただの動物愛好家のように振舞っている。地階がおもてむきの研究室。二階が書斎を兼ねた寝室。小さな台所もある。三階がおれの部屋だ。おれの部屋の窓と扉には、鉄格子がはめてある。鍵は付いているが、かけたことがない。いちどテレビに映ったあと、視聴者から「完全な野放しは、いくらなんでも危険だ」という意見があったらしい。とにかく世間体のために形ばかりの格子を取り付けたのだ。
テレビ局は、おれが椿医師のために洗濯機を使ったり、目玉焼きを作ったりしているところをビデオ収録した。
リポーターの畠山律子が「ウッソウ。これじゃ、家事をしたことのない、わたしより役にたつわ」と目を丸くした。
「椿先生。これは動物学的に、画期的な発見になりません? 専門の学者に見せて研究してもらった方がいいと思いますけど?」
「そんなこと、見せるまでもない。訓練と教育さえすれば動物が、相当の能力を発揮するのは、専門家は良く知っている。人間だけが高級な生き物だと思うのは、キリスト教文化圏の人種が捏造した迷信なのだ」
「ええっ、そうなんですか。それにしても利口すぎるわ。もしアフリカのゴリラがみんなこれだけの知能を持っているとしたら大変なことじゃないの」
「なにが大変なんだ。そういうのは傲慢と言うものだ」度の強いメガネの奥で、椿医師の目が光った。
「いいかね。ゴリラは元来、自由に暮らして居たんだ。自由だよ。戒厳令や、権力に抑圧されることのない自由だよ。近親相姦もなければ、大量虐殺もない。高度の平和的な社会を構成していたのだ。人間が愚かな知能をふりまわして、森や大地を荒廃させる以前にはね。もちろん、ゴリラ世界にもまれに、争いや小児虐待的なものはある。しかし、それには意味がある。いや、意味を見失っていないというべきか。それにくらべ、人間は生きる意味を取り違えている」
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