鶴樹の「肉体の変奏」-24-
鶴樹の「肉体の変奏」-24-
頭脳細胞が記憶をもつということは、当然とされる。肉体の細胞がその何百分の一の記憶のかけらを持つことは考えられないことではない。特に、ゴリラの肉体の質量とおれの頭脳細胞の質量を較べたら、圧倒的にゴリラの肉体のほうが優る。肉体細胞が頭脳細胞を侵食して来ているのかも知れない。
それ以来、医師はおれに意識の変化をワープロノートに入力するように指示してきている。椿医師はなんでも記録する。地下室の書庫には、膨大な量の大学ノートが、累積していた。その中におれとの会話がわりに打ち出したプリントなどが、はじめから保存してあるのを見つけた。
研究用の机には、乱雑に資料が重ねられている。医師は狭くなったわずかなスペースを使ってよく書き物をする。その片隅に小さな写真額が立て掛けてあった。白衣を着た男女が椿医院の玄関前に並んで立っている。男は椿医師である。四十歳くらいか、まだ若い。女性は白人の外国人である。椿医師より背が高く、痩せぎみで、思慮深そうな瞳がカメラのレンズに向けられている。医院開設の記念写真らしい。女性は同僚の医師なのか、研究者なのか。よく判らない。
研究室の地下二階は、奥が昔の鉱山かなにかの採掘坑道跡につづいていた。出口は小さな渓谷の河原につながっていた。
椿医師は、ふだん地下室があることは他人には秘密にしていた。
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