鶴樹の「肉体の変奏」
1
静かだ。規則的な音がする。心臓の鼓動と肺の呼吸に似たリズムの音だ。長い灰色の時間が過ぎたことを感じていた。
天井を見ると、殺風景な蛍光燈が光っている。見える範囲の壁はコンクリートがむきだしになっている。倉庫のような天井の明かりをさえぎり、白衣の男が頭上に立った。
「意識がもどったようだね。気分はどうかな?」
返事をしようとしたが、声がでない。
「ああ、そうだ。発声補助装置のスイッチを入れ忘れてたな」
男は、なにかを操作したあと、「どうかね? 声を出してみたまえ」と言った。
あまった肉が首にさがり、頬のこけた顔が目の前にせまってきた。度の強い眼鏡をかけている。憂欝そうな顔だ。
「ここは、どこ? どうなっているんだ?」自分の声が耳に低くこもって響いた。
「病院に付属しているわたしの研究室だ」
「研究室……。なぜだ?」
「きみは自動車事故をおこして、わたしの医院に運び込まれてきた。このあたりには大病院がないからな。だが、どんな大きな病院でも、きみの命を救うことはできなかっただろう。それほど肉体の損傷はひどかった。むだと知りつつ、心臓マッサージと人工呼吸をしてみた。しかし、いつまで続けても蘇生しなかった。だれがやっても結果はおなじだったろう。きみは死ぬ運命にあったのだ」
「なにを言ってるんだ。おれはこうして生きているじゃないか」
おれは、そう言いながらも、この男が話によく聞く、あの地獄の死神という奴ではないのかと思い、ぞっとしていた。
「じつはきみはもう肉体がない。ここにあるのは精巧な人工臓器システムだ。きみの頭脳は、わたしが仕事の合間にこつこつと造り上げた臓器の集合によって、生命が維持されている……」
「えっ、なんですって……。肉体がない?」
「いや、話をさせてくれ。無断でこのようなことをしたのは、よくないことだ。しかし、本人は意識がないし、親類をさがして許可を得るには時間がかかる。その間に、きみの若い頭脳も死んでしまう。わたしだって若くはない。再びいつこんな機会にめぐまれるかわからない。そこで、医院の連中には、別館の集中治療室に移すということでわたしの家の研究室の臓器システムにきみの頭部を接続したのだ」
男はおれの思惑をよそに、言い訳をするように説明した。
彼の語っている意味を理解するのには、えらく時間がかかった。頭だけで生き残ったおれ……。なんということだ。おれは気分が悪くなり吐きたくなった。だが、それはただ喉が鳴ったにすぎなかった。
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