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2006年5月12日 (金)

【望月雅子さんの詩集と随筆集、地元新聞に紹介されることについて

 望月雅子さんの作品は多彩さに紛れがちだが、その本質は、単なる思い出を越えた“記憶の創出”にあると思われる。彼女の記憶は自己の感性でとらえた、過去の時間の再構成である。例えば詩「聖域」では『緑の下の蟻地獄が 沢山の穴を作る 宿題に飽きたら蟻地獄を掘ってみる そこだけ土がサラサラと手に触れる 細かい粒子が指の間から落ちて 蟻地獄の穴に流れていく 誰も知らない土の中の世界へ』(詩集「この頃宇宙」より)。果たして縁の下の蟻地獄をどれだけの人が知っているか、分からないが、私もよく遊んだ。ここには幼少時代の“純粋な時間”が紡ぎだされている。只の思い出などは多くの人が書くが、必ずしも文芸作品になっているとは限らない。望月さんは一貫して“記憶を創出”し、その中の人生を成立させている“時間を描く”。これに突出した文芸的表現力能力をもつ。このことに触れる評価があまりないので、ここに指摘してみた。

《中国新聞・平成18219日付より》広島県詩人会員の望月雅子さん(70)=筆名・北川加奈子=が、2冊セットを渓水社から刊行した。乳がん、糖尿病などの度重なる病の中で揺れる心や、自らの歩みを振り返る文章が綴られている。

 詩集は、題材ごとに分けて73編を収録。若くして姉や父母ら家族への思い、戦中戦後の回想、闘病中の心象風景など、心のうちを真っすぐな言葉で吐露。雄大な宇宙や空に思いをはせた詩もある。

「雲が骨に見えて来た!/病んだ月日が余りにも長いから、目が透明になって、何もかも透けて見えるのか。」(「空と雲」より)

 また、45編からなる随筆集は、東京で過ごした少女時代や結婚前後など、自らの人生をたどる作品が並ぶ。望月さんは「試作を通じ『生きるとは何か』と考え、ヒューマニズムにたどり着いた。両親のまじめな生き方が自分の基礎にあると」語る。 「文芸まるかじり」2006年5月号(通巻65号)より

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