鶴樹の「肉体の変奏」-2-
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おれの命を救ったという老医師は椿文蔵といい、小さな医院の院長だった。すでに六十歳をこえている。
おれの名は生田目泰幸。東京・葛飾区の下町で不動産屋を経営していた。
三十二歳のこの時、十四、五億の資産を手中にしていた。とりたてて商才があったわけではない。資格を取って脱サラをした後に、たまたま土地高騰の波に乗っただけだ。
おれは五年前に由美という女と結婚した。彼女は贅沢を好んだ。由美はおれの資産に恋したのだった。おれはそのことを充分知っていた。教養がなく、虚栄心のつよい女だった。友達は多かったが、親しくつきあっている者はいない。友達といわれる連中は、おそらく陰で由美を悪趣味な女だと言い合っているにちがいない。おれは彼女の直情的とも思える性格が嫌いでなかった。
いまでも覚えているのは、シトロエンを彼女に運転させてドライブしてた時のことだ。
前を走っていた小型トラックを追い抜くとそいつが幅寄せしてきた。彼女は窓から思い切りどなった。
「貧乏人め。いいかげんにしやがれ」と。
二十四歳になる由美は、品性に欠けていたが、反面、少女のようなあどけない表情を持っていた。肉体は豊満で男を悦ばせることに長けていた。顔と肉体のアンバランスなところもまた奇妙な魅力があった。
「わたしってね、面白いように男の人に気に入れられちゃうの」
あっけらかんとそう言って、よく他人を鼻白ませたものだが、言っていることは事実だった。
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