2009年12月13日 (日)

同人誌「季刊遠近」38号(東京)

 「久保田正文著作選/文学的証言」(大正大学出版会:8,820円)が出版され、その出版記念会の様子がある。「文学界」同人誌評を長くしていたので、文芸評論家の勝俣浩氏が講演を行っている。久保田正文の住まいの近くに、文芸評論家の浜賀知彦氏が住んでいて、二人が元気な頃は、近所付き合いがあったようだ。
 たまたま、自分は浜賀さんに用事があって、訪問することがあったので、この雑誌を持って行って見せたら、「ほう」と興味をもってみていた。作品を発表している難波田節子さんの名を見つけて、「まだ、やっているんだね」と言っていた。浜賀さんの蒐集している昔の同人雑誌に彼女の作品が掲載されているから、記憶しているらしい。
 浜賀さんは、長年、京浜南部の文学活動の歴史となる同人誌を蒐集しており、戦後の労働運動の激しいさ中の同人誌や詩集を集めてある。それが「東京南部サークル雑誌集成」(不二出版、全三巻付録・別冊揃えで68,000円)となって、このほど編集復刻された。
 浜賀さんは、この貴重な原本を地元の大田区の図書館に寄贈しようとしたら、断られたそうだ。「だめだね。文化的な価値がわからない」と落胆していた。自分は「自治体の図書館は古い書籍を廃棄したりしているので、ひとつ場所に置くのは考えもの。災害などでも失われるリスクが高い。民間の個人に分散して保管したほうが良いのですよ」とかいっていたものだ。
 その資料の中には、安部公房が芥川賞を発表したあとに、同人誌に発表したばかりの詩作品の名前を抹消し、それを受け取った友人が、また安部公房と書き加えているものなど、面白いエピソードに事欠かない。
 浜賀さんは1昨年だったか、ガンの手術をして体力を落としていたが、最近は元気を取り戻している。この集成が刊行されて、ひと安心しているようだった。入院中に見舞いに行くと、そのたびバカチョンンカメラでその人の写真とっていた。その後、麻酔の影響で幻覚症状が強く出たといっていたので、記憶が信用できなかったためらしい。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年12月11日 (金)

同人誌「奏」第19号・2009秋(静岡県)

【「評伝・小川国夫――第1回」勝呂奏】と、同じ作者の【「資料・小川国夫――中学校時代ノート(抄)」があり、かなりのの厚さである。小川国夫といえば、『死の棘』を書いた 島尾敏男に同人誌「青銅時代」の「アポロンの島」を認められて世にでるきかっけになった話があるが、知る人は少ないであろう。この作家に詳しい作者のようだが、根気の要る仕事である。
 中学時代の書き物の記録を読むと、瑞々しくて、クリアな文章で、才能を感じさせる。私の記憶ではその後、志賀直哉の影響を受けたようなところがあるようだが、影響を受けなければ結構もっと売れる文章を書く作家になっていたのかもしれない、と思わせるものがある。聖書の文体も意識していたのかも知れない。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年12月 1日 (火)

同人誌「淡路島文学」第4号(州本市)

【「喫煙室」膳夫】
 今年の5月24日は、小田切秀雄の10周忌だったとある。小田切秀雄先生を囲む会があって、墓参の小田原に集まった話が記されている。墓所は北村透谷と同じ長高寺とある。世話役は田中單之さんという方で、文芸評論家の勝俣浩氏、佐賀から浦田義和氏などが参列したとも。

 私が法政大学に在籍中、経済学部であったが、友人に文学好きがいて「法政文芸」という同人誌を出しているクラブがあって、小田切教授が担当しているというので、その会合を六角校舎でやるから、顔をだしてみよう、という。その頃は、谷川徹三総長の代りに小田切教授が代理をするらしいとか、していた時季だと思う。いま思えば不気味な印象のある六角校舎に、行っては見たが、当然のことながら小田切教授は来ない。部員の話をきいても肌合いが違う。その後、学内の文学系とは交わることはなかった。
 ただ、教養学部では、長谷川四郎講師で、法学では長谷川鉱平講師であったと記憶している。この人が何故「法学」なのかよくわからなかったが、中央公論での校正ミスなどの話をよくしていた。長谷川鉱平氏といえば、
「昭和二十年――つまり戦争にともなう思想統制、言論弾圧等々特に文学を事とする者にとっては、いまわしいことばかりあった十年代の最後の一年をあと一日のこすのみとなった十二月三十日に、「近代文学」を創刊した荒正人、小田切秀雄、佐々木基一、埴谷雄高、平野謙、本田秋五、山室静という七人の同人は、いずれも昭和初期時代における退潮期マルクス主義芸術運動の影響を濃密に受けてきた三十代の批評家で・・・」(野口冨士男「感触的昭和文壇史」文藝春秋より)これを側面から推進した人物であったようだ。
 こんなことを書くのは、たまたま埴谷雄高が農民闘争社に入って、農民運動をしていたというのを知って、小田切秀雄編・犬田卯著「日本農民文学史」(農山漁村文化協会)と照合していたが、関連が見出せないでいるところだからであった。なぜ、そんなことをするのかというと、「季刊文科」46号にある伊藤桂一「形と影」と埴谷雄高「洞窟」の比較論を書こうと思っているからである。
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 それはともかく、小田切秀雄はこの犬田卯なる人物と顔を合わせたことがないと、住井すえが本書に「亡父の旧友におくる手紙」で記している。犬田卯氏の写真がそこにあるのでデジカメで撮影してみた。

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2009年11月28日 (土)

同人誌「淡路島文学」第4号(洲本市)

 同人誌が送られてくるが、現在は読んでも紹介するほどのゆとりがない。第九回文学フリマに、あわせて販売する「詩人回廊2010」の制作や、会員の出版の支援、その他、頼まれ事が重なってしまった。今は、本誌に関しては、下記の文学的な論文のみを紹介する。
【「環境ファシズム上部構造についての考察ノート(前編)」奥本隆司】
 これは環境問題を材料に商業活動が(マスコミ宣伝商売も含めて)活発化していることを指摘したものである。なかに「同人誌などだれも読んでくれないものですし、読むに値するものであるとも思えないのですが、実録としてありのまま書くと環境ファシストたちに袋叩きに……」という冗句があるのは、笑わせられる。(同時に、このような意識で、同人誌が書かれているということも、大変興味深いものがある)
 マルクスの話が出てくるが、マルクスは資本論では経済学的に社会分析したが、共産主義運動という活動にも参加し、論理的には自己矛盾することをしている。
 マルクスは、人間を自己中心的な行動をするという前提で、アダム・スミスやヘーゲルの思想を受け継いでいる。自分に都合が良いと思うことを選択する人間の特性は、物理における引力のような共通性があるとしないと、経済学は理論にならない。
 ところで、地球温暖化は、人類の歴史からはじまった時から起きていることがわかる。例えば6000年前の縄文時代には、氷河期が終わると地球の温度が2度上昇したため、今よりも海面が2メートル高く、時には8メートルも高い時期があったとある(小学館「日本歴史館」による)。
 それ以降、温暖化は長く続いてきたために日本列島は緑豊かな島国になったのである。つまり、人間が何もしなくても、温暖化で海面が8メートル上昇することがあっても、それは地球気象学的には過去にあったことなのだ、とわかる。
 その事実と、環境問題とされることとはズレがある。しかし、人間が機会さえあれば自分だけ、時代の流れに乗って利益を得ようとする行動とが結びつくことは、有りうることである。
 アメリカが自動車社会になったのは、自然にそうなったのではない。フォードなど自動車メーカーが謀略を用いて、意図的に鉄道を潰した向きもある。
 いま、アメリカは鉄道主義を復活させようという動きがある。これらは歴史的な事実であるが、知りたくない人が多いと知られないのである。
 この考察では、風力発電が低周波公害を起こしていることも指摘されている。現在、低周波の出ない風力発電装置もベンチャー企業が手がけている。いずれにしても政府の補助金があるかぎり試行錯誤しながら開発されるであろう。
 レーニンは「帝国主義論」で、社会の動きを分析するのには、すでに発表された公的な資料があれば充分で、特別にデーターをつくるほどのものでないと記している。この考察は、その点でもよく資料を集めている。(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年11月 5日 (木)

文芸同人「長崎の会」第4号(東京・町田市)(2)

【「新天地」野江乃絵】
 東京に通勤していた野江という人が、富山に転勤。そこで退職して、再就職したら、職場が富山であった、という富山県との縁の話。野江という人が作者であったとしても、自己紹介程度で、私小説にはまだ距離がある。今後に期待。

【「老人の町」赤木保】
 高齢化社会で活気のない町に、祭りで地域振興をしようと若者が交渉をしてくるのを、老人たちが受け入れる話。祭りのテーマをこなして、小説にしている。本当に軽いライトノベル。

 以上、ざっと読ませてもらったが、すでに爺さまとなった筆者とは、価値観が違うので、見当はずれな紹介かもしれないのう。ただ、表現ということについては、絵、音楽、コミック、小説も同じところがある。たとえば、白い紙にA点からB点まで横に線を直線で引く。これは線を描いただけ。日記は直線的で、書き始めに悲しんでいたものが、終わりでは笑っていた、という変化はないのが普通。これは小説とは言えない。(小説がなんであるかを議論しない同人誌には時々こういう作文があるのじゃ。誰も文句をいわないからかまわないけれどなあ)。
 こんどはA点からB点まで、上下に波打って線を引いたとする。すると、なにか変化あって洒落た感じがする。表現的である。さらにそこに縦線をいれるともっと複雑な線の組み合わせができる。それがただの線から、その人の引き方の違いで表現になっていくということだと思う。爺さんは、これが散文や小説の要素とみるわけじゃ。
 さらに爺さんのぼやきとしては、テーマの「祭り」の意味がわからなかった。はこのメンバーであるなら、ドラマチックな書き方をしようとか、静的な描写を重点にとか、編集内部で決まりをもうけて、出来てからそれを検証するのが同人誌のありかたのように思えるのじゃよ。小説は自由に書けばよいなどと、人から言われて本気にしてはいかんのじゃよ。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年11月 4日 (水)

文芸同人「長崎の会」第4号(東京・町田市)(1)

 表紙にアイルランドの聖パトリックデーの広場風景写真(撮影:瀬山響)があり、「祭り」小説集となっている。良い写真である。発行人の秋田しんのすけ氏には、5月の文学フリマで文芸同志会のブースに寄っていただいたのに、席に居ずに失礼をしてしまいました。おそらく設営のし残しをしていた時であろうと思う。罪滅ぼしに、我が会員の作品に接するのと同じ視線で読んでみます。

【「夜明けの花」瀬山響】
 我が事務所の「響ルーム」と似た名前の作者である。同名のよしみもありそうだ。作品は、煙草をはじめて吸うという体験から哲学的な思弁が転がり出る。出だし1ページ半が彼という、距離をとった始まりをしている。そこから行をあけて、「俺」の語りになり「俺」の視点のまま終わる。
 短編で、視点を変えるのも新手なのだろうか。彼という視点のはじまりなのに、窓の外の音が「流れてくる」という表現。すでに「私」の視点の表現になっていて、あとから「彼」となる。自分の方法論では、ここは「流れていた」とするが、これも新手法か。そのほか、佐伯という人物との会話、最後の夏椿の扱いに、詩的で非小説手法がいくつかあり、これは小説的でなく、叙事詩として読んだ。

【「だんじり捕り物帳」あきらつかさ】
 コミックのシナリオ的で、ビジュアルで雰囲気を補強すると表現に味がでるような感じ。
先日、蒲田のPiOによったら、コミックの「ぷにケット」と「ラブ・インクリメント」とかいうイベントをやっていて、大勢集まっていた。こうした賑わいなら、「文学フリマ」の組は、このようなスタイルの小説で、コミックの原作提供でタイアップするのも良いのでは、とおもった。しかし、二次創作だと原作不要でもあるらしい。

【「喪中神輿」秋田しんのすけ】
 これは文字通り「祭り」を題材にした日記風の話。祭りの神輿担ぎの間に、親族の不幸が起きる話。この書き方では、事情がわかるものの小説の要素である灰汁が抜けてしまっている感じ。

【「テミドールの夏休み」小林圭介】
 フランス革命当時の血なまぐさい時代を書いた歴史小説。想像力による雰囲気が出ていて、わかりやすい。最後の意識の空白が、ページの空白になっているのも、ゲーム参加したような気分でなるほどと思った。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年10月29日 (木)

同人誌「相模文芸」第18号(相模原市)

 30人近い参加者の作品が掲載され、カラー表紙絵、中にはカラー記録写真(江成常雄「ガナルガダルの『故郷』の歌」)もある。多くは目を通せないので、目についたものだけを紹介する。

【「断食道場」宮本筆】
 断食で病気を治す道場に行った経験談のようだ。断食体験の光景がドキュメンタリー的な面白さを持つ。

【「文豪の遺言」(四)木内是壽】
 松本清張、林芙美子、島崎藤村、火野葦平の遺言から、作家の人生感、死生観が解説されている。調べるのは大変そうだが、どれも大変面白かった。

【「輝く青春の日々―手記―」外狩雅巳】
 目次では小説となっているが、固有名詞や仕事の内容の詳細なところから、ほとんど事実に即しているように思える。1942年生まれで、私と同年である。夜間大学に通っているところや労働運動に参加し、大学では全共闘時代を過ごしたのも同様である。ただ、私は資本論と革命を研究したが、学生運動には参加しなかった。それでも研究をしているというので、いろいろと巻き込まれた。そのため面白く読んだ。
 ここにもレーニンやトロツキー、第四インター、核マル派などの活動に巻き込まれている様子がある。自分は彼らの理論が理解できずに(頭のいい連中なのに、行動原理がめちゃくちゃでついていけなかった)。少数グループで革命論を研究していた。同時に昼間の仕事でダイエーなどの流通革命の激変にかかわっていたので、デモに関与することよりも現実に関与せざるを得なかった。作品中で、ゲームのセガ社の話が出ている。自分はジュークボックスのセガ・エンタープライズの時代に、ジュークボックスの市場調査でマネージャーと会った記憶がある。調査では衰退すると結論したが、やはりなくなった。
 いずれにしても、高度経済成長期だからこその輝く青春の日々。現在の状況の厳しさとは、比較にならない。

【「ねこ語」/「まんびき」はまむらひろぞ】
 ショート・ショートが2作。「ねこ語」は、洒落ていて面白い。「まんびき」は書店の本を万引きする話だが、その本が、椎名麟三「赤い孤独者」、梅崎春生「日の果て」、武田泰淳「風媒花」、鶴田知也「コシャマイン記」、カミユ「異邦人」、サルトル「嘔吐」。そして万引きしたのは、太陽のせいだとする。時代離れしてはいるが、考えさせる。
事務局=相模原市相生2-6-15、外狩方。 「相模文芸クラブ」サイト
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年10月28日 (水)

同人誌「文芸中部」82号(愛知県東海市)(1)

【「オールドローズガーデンB&B」西澤しのぶ】
 大変印象の深い小説であった。云うに言えない味わいがある。舞台は英国であるが、そこに登場する人たちは、ドイツ語の翻訳家、ドイツ出身のウイルヘルムが主人公、彼のなき妻が英国人、出入りする家政婦は、モロッコ系である。ウイルムヘルムが妻の亡き後、庭のバラ園を放置しておいたが、そこへ日本人が幾日かのホームステイを依頼してくる。妻がかつてしていたB&Bの活動の影響である。
 ウイルヘルムは事情を知らずに、年配の日本人夫妻を泊める。
 すると、夫妻がこの地で、かつて渡英していた娘を殺害され、その犯人が刑務者を出所するので、彼を赦す気持になったことを伝えに来たのだった。ところが犯人は、父親を日本兵殺されていてそれを赦すという。また、ウルヘルムも戦争で、敵を殺していた。
 まず、英国の風土と、日本人への敵意など、そこに住む外国人のキャラクターが自然に描かれている。クリスチャン精神に満ちた人物像が、そこによく融合されている。作者は、おそらく英国での暮らしが長く、信者であろうと推察される。ここに描かれた罪と罰、赦しの問題も理屈的には深みがないが、小説のなかではそれを身にしみるように表現。創作的ではあるが、これが小説でなければならない必然性を感じさせる。とにかく文学表現力で良質な小説である。

【「溶けてゆく街」蒲生一三】
 技術的に老練な手腕の作品。阪神大震災を経験した高齢者の、日々を生きる様子とその死を描く。かつて古山高麗男という作家が、私小説風な「私的」日常から物語を飛躍させる手法を用いていた。なんとなく、その作風をイメージさせる。震災以来、人が消えて町が溶ける。自在な筆致が、物悲しいような、庶民のあわれな味わいを深くしている。

【「花疲れ」濱中禧行】
 若き時代に、遊び心で交際のあった女性が知らぬ間にわが子を産み、成長していた話。書く楽しみと読む楽しみが半々の読み物のようだ。
 発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、文芸中部の会。
            (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年10月17日 (土)

創作同人誌「R&W」第7号(愛知県)(3)

【「絆」静井ヒロ】
 ペット猫の一生が、猫の視点で語られる。ペットの使命について考えさせられるが、「我輩は猫である」ほどの、深い意味はなさそう。こういうジャンルの作品は、これから流行りそうな気がする。

【「タワーホテルの女性客」由愛 葵】
 高級ホテルに宿泊する若い女性。そこに男の宿泊者がいて、束の間の社交を楽しむ。そこで、別れ際に、お互いに自分の身の上を打ち明けると、意外な偶然があることがわかる。オチがあって悪くはないが、すこし重くなって、古めかしいかも。出だしの調子からすると、軽い気分の設定の方がコントとして、このスタイルには適しているような気がした。

【「自然の森公園」山本進】
 高齢者の回顧と瞑想を描く。文学的な文章表現力で、読ませてしまう。時代の正確なところを書かずにうまく回想と妄想を組み合わせている。

【評論「山田風太郎論」藤田充伯】
 山田風太郎を読んでいる人には共感できるところが多いし、よく人となりを伝えていると思った。
(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年10月15日 (木)

創作同人誌「R&W」第7号(愛知県)(2)

【「十人目の影」渡辺勝彦】
 特高警察の話があるので、前作の続きとわかった。広島に原爆投下があった時に全滅したとされる劇団「桜隊」のメンバーの一人が生きて、犯罪的な活動しているのではないか、という疑惑で話が進む。時代は岸信介内閣の日米安保条約推進に反対運動が盛んな時期である。
 異色のミステリーとして面白く読める。原爆の被爆都市と特高警察のからみが、時代の政治色を反映して興味をそそる。作品は本来もっと長くなる要素が見られる。ここではあらすじと構成を示したような部分もある。ストーリーが中心で、登場人物のキャラクターの細部が、まだ書き込みされていない。人物像を深めれば、もっと量感のある物語になりそう。

【「復活―友人への書簡―」改田龍男】
 自分より14歳若い妻を持つ高齢の夫が、前立腺肥大になりその治療に女性ホルモンを服用したところ、それまで何事なく営んできた性的な能力が失われてしまう。そこで性の営みの途絶えた時に、妻が憂鬱症を示すようになり、治療を行う。
 そのいきさつがあってから、碁を打ちに来ている友人がしばしば訪ねてくるようになる。夫は妻の態度が明るくなり、魅力を増してきたように思う。夫は妻が友人と不倫をしているのではないかと状況を観察するのだが、確証はない―、という話。
 この作品で、なるほどと思ったのは、冒頭に谷崎潤一郎の「鍵」という作品を引き合いにだしていることが、非常に効果的であるということだった。映画にもなったし、文庫でも、棟方志功の版画がついて、大変魅力的な出来あがりになっている。
 主人公が「鍵」を再読し、昔はなんとも変な話に思っていたが、今は実感をもって読めるという前振りが、この話のイメージを味わいのあるものにし、成功している。親友への手紙という設定だが、その親友が碁を打ちにくる男かどうか、ぼかしてあるのが気になる。
(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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