2009年12月12日 (土)

第9回文学フリマの展示方法など(2)

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 文学フリマの各ブースには、朝から印刷会社のパンフレットが置かれている。そこには、今後の全国各地のフリーマーケットのスケジュールがカレンダー化されていて、その開催日の幾日前に原稿提出されると、どのくらいの経費でできるかなどが詳しく書いてある。印刷会社から会場に直送されるのは当たり前のようだ。
 これらは、コミックマーケットで実績のある印刷業者が、コミックから文章系に転向拡大する書き手が存在することを裏付けている。
 ギャグマンガは別として、コミックで物語の構造を学んでくると、その内容や物語の幅を進化させようとして、文字による表現に移行する人たちがいる。ライトノベルはそうした読者層から生まれてきたといえる。
 発想がイラストという視覚から入るグループは、展示も視覚的である。

 また、それらにまじって、純文学の雑誌を出す「破滅派」のように会場に、パソコンを持ち込んで外国の文学フリマのサイトを見せたりしているところもある。今回は100部を販売したとある。雑誌に図書コードはないと聞いている。

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2009年12月 9日 (水)

第9回文学フリマの展示方法など(1)

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 文学フリマ会場の展示のひとつが写真である。ブースが狭いので、立体的にするのがコツ。若者も年配者も同じ会場で違うジャンルを並べて売られているのが、定着している。
 文芸同志会では、これまで会員の誰かの手伝いがあったが、今年は主宰者の伊藤が独りで店番をした。それだけにじっくり会場の雰囲気を味わうことができた。新刊「詩人回廊2010」と、これまでの在庫本、会員が入会している同人誌などを並べた。
 会場は若い人が圧倒的で、自分のブースに立ち寄る人は少なかった。それでも、時折、置いてある本を手にとって見る人が増えたように思う。人が多いといろいろな分野に興味を持つ人も混じるので、販売チャンスが広がるようだ。
 そして、ちょっと興味深かったのは、会員の山川氏が同人誌「砂」111号に連載小説「国賊」第1回を書いていた。その号2冊と前号の110号を1冊置いた。すると、ぱらぱらと「砂」誌をめくってから、買い上げていく人が続いて2人出た。いや、今日はなぜか「砂」が売れるな、残る110号も売れるかな? 期待していたら、その後は見る人がいても買ってくれない。
 そこで、110号と111号の違いを考えてみた。111号の山川氏の「国賊」は中国の歴史物で、作者の書き出しが、中島敦の現代版かと思わせる格調の高い文章であることに思い至った。自分は、読んで「現代ばなれした静謐なかに重厚さのある文章だな。しかし、読解力の落ちた今の人には、その味わいがわからず、気の毒だが、話題にもされないであろう」と、思っていたものだ。それを、2人の読者は、連載の初回にもかかわらず、中国歴史物と、その文章の味に関心があって買っていったのではないか、と推察したのだ。俗に「目明き千人、○暗千人」というが、入場者が2千人ならば、2人の目明きがいてもおかしくないわけだ。
 関連記事は「詩人回廊」にもあり。

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第9回文学フリマの現場から

写真は病いから再起しフリマに参加した野田さん(中央)と彼を支える友人(右)。
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 先にサークルカタログの写真を示したが、今回のカタログには表紙広告のほかに、中に常連化した同人誌印刷会社(株)ポプルスPOPLSと、横浜ワールドポーターズでの創作オンリー同人誌即売会2010年6月6日開催やSFコンベンション「HAL-CONはるこん」2010年4月10日~11日開催の広告がついていた。ビジネスが介入するほどに成長したといえる。
 それだけでなく、読み物として「文学フリマをどう買うか? どう売るか?」としたタイトルで、第八回文学フリマを振り返って――という座談会が掲載されている。ページ建てに余裕ができたことを示している。座談会のメンバーは、作家の中沢けい氏、「見世物見物」グループの大阪芸大の志和一馬氏、同じく小向鉄平氏、司会が望月倫彦・文学フリマ代表である。望月代表と中沢けい氏など、まあ、顔見知り仲間からはじめようというところであろう。
 なかで気になったサークルの名が上げられていて、「『共感覚』ペンクラブ」「ジャンクヤード」、「つヤ部」「MNTP」などのほか中沢けい氏が古い同人誌タイプとして「銀座線」や「木曜日」を話題にしている。
 また、最年長参加者組みとして、5円で販売する「幻魚水想記の会」野田吉一氏(69歳)が、前回病気で休んだのが、今回は再起し参加した話が出ている。
 野田さんは、私より2歳年上で、元同志会会員であったので、自分も作品を求めて、再会を喜んだ。その一冊に「1968年――省二の青春むざんなや」があった。電車のなかで、ぼちぼち読んでいるが、これが大変に良い作品で、主人公は腹膜透析を行う身で、あの労働運動と学生運動を巻き込んだ全共闘時代に、出版社の労働闘争に参加した時の状況を内部から描いたもので、そこに参加して活動した人間の、理論から離れたわけのわからない現場の心境を実に実感をもって、描いているのである。文章もしまっている。驚いた。
 理屈をいいながら、理屈に合わない活動をしてしまう心理が表現されているのは、貴重である。当時の活動家は、理屈はいうがそれが行動の原理とはなっておらず、自分で自分の行動を説明しない。その意味で理屈でないことを描いているのが良いのだ。

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2009年12月 7日 (月)

第九回文学フリマ(蒲田)に参加。配布のカタログが時間中に品切れ盛況

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 380件の出店があった第9回文学フリマ(蒲田)に参加した。前回よりも60件ほど増の会場だったが、見本誌コーナーを別室会議室にしたのが、効果があって賑やかではあったが、それほど混雑感はなかった。いつもは帰りまでのこっていた出店者カタログが3時ころだったか、品切れになったと放送していた。2000部前後では足りないようだ。
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2009年11月22日 (日)

「季刊文科」46号(鳥影社)が伊藤桂一「形と影」の再録の続き

 山本周五郎は、曲軒ともいわれ、へそまがりで皮肉屋のところがあって、そのエピソードは木村久邇典のエッセイなどに記されている。
 「グループ桂」に掲載の北一郎の寸編小説では、そのことに触れている。同人仲間がそのエピソードってどういうものなのか、訊くので、典型的なものをひとつ教えた。
 嵐寛十郎という鞍馬天狗で一世を風靡した俳優(故人)がいた。アラカンといえば鞍馬天狗である。
 映画の中に出てくる角兵獅子を美空ひばりや松島トモ子が演じていた。アラカンは、鞍馬天狗のイメージが強くて、次の主演映画の仕事がこなくなったらしい。
 そこで映画化されるので有名な作家山本周五郎を訪ねた。山本周五郎の代表作「樅の木は残った」は、当時「青葉城の鬼」という題で、長谷川一夫が主演をしていたような記憶がある。
 アラカンこと嵐寛十郎は山本周五郎に「先生、最近わたしは芸に行き詰まりを感じまして、そこで先生にお願いして、私の壁に当っている芸に新境地を開けるような原作を書いていただけないでしょうか」とか、言ったそうである。
 すると周五郎は「いや、いや、私はあなたの映画を観ていますが、あなたの芸は、とても行き詰ったり、壁にあたるような芸には見えませんね」と、いって断ったそうである。
 アラカンの語る台詞は、歌舞伎役者調の棒読みで、「杉作、いくぞ」とかのものが多く、たしかに大根役者的であった。(しかし、自分はその棒読み役者が大好きであった。第一アラカンはその後、老人役の脇役でいい味をだしている)。
 そうした話は伊藤桂一氏も知っていたらしい。
 自分が「先生、アラカンはその後、晩年になっていい役者になったのですよ。山本周五郎はそれを予知できなかったですね」といったところ、「いや、私だって嵐寛十郎の芝居は、いきづまるような高級な芸には思えなかったよ」と、周五郎の意見に賛成していた。
 これは、それぞれの時代の人間の受けてきた風の肌合いの違いを示すものであろう。
 それはともかく、「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されている「光と影」は、小説と詩作の両方ジャンルに作品を発表してきた、詩人&作家・伊藤桂一の本質がそこに見られるので、近いうちに「詩人回廊」の伊藤昭一の庭で、解説をしてみたいと思う。作品「光と影」の過去に発表された媒体は、昭和30年2月「三田文学」が初出で、次に昭和37年4月「ナルシスの鏡」(南北社)に掲載されている。いわゆる商業性に乏しいので、今回「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されたのは、貴重なものである。
 自分の思いついてる視点としては、この作品には、存在論として、戦前に埴谷雄高が同人誌に発表している「洞窟」と比較することが可能かどうかを検証してみたい、ところだ。

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2009年11月20日 (金)

近刊・詩人回廊2010」冊子の第九回「文学フリマ」に向けた企画

 第九回「文学フリマ」(12月6日)に文芸同志会も参加する。そこで販売する新刊「詩人回廊2010」【写真】の版下ができた。柱は「山川豊太郎の庭サイト」にある『「物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本」(角川oneテーマ21新書)に読むニヒリズム観』そのものである。
 来月の参加が決まってから、山川氏にテーマを提示し、書いてもらった。山川氏は、大塚氏と面識がある。
 青山ブックセンターでの第1回「文学フリマ」の会場において、主催者であった大塚英志氏と面談し、インタビューして「文芸研究月報」でそのレポートを執筆している。そのレポートは「文学フリマ5周年記念」本に転載されている。
 物語が構造をもつことは、当然のことであり、大塚氏が指摘するように構造があるから世界に通用する。大塚氏は、そのことを指摘したからといって、良い悪いなどの価値については、意識的に論及していない。
 構造しかない日本の物語文化がサブカルチャーを発展させたと、みてもそれに価値観の照明をあてていない。文芸評論よりも社会観察評論の要素が強い。
 山川氏は、そこに着目し、観察と定義で寸止めする大塚氏の評論に、ニヒリズム的な色彩をまぶして書いている。
 山川氏の話しによると、この問題より東浩紀と大塚英志のポストモダンをめぐる考え方の違いを論じる方が面白いかも知れない、ということだ。が、この辺で、大塚英志氏の発想によって、文学フリマが発祥したことを再認識するのも良いのではないか、という企画なのである。

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2009年11月14日 (土)

伊藤桂一「形と影」を雑誌「季刊文科」46号(鳥影社)が再録

「季刊文科」は毎号読んでいるが、なかなか触れることがない。ただの一読者であるから、別になにも言うことがないのだ。純文学の本来の姿はこういうものではないか、と会員には購読をすすめていたが、継続しているかどうかは知らない。
 46号には、自選短編として伊藤桂一「形と影」が掲載されている。解説では、戦後、市販同人誌「文芸首都」の投稿時代に詩的小説、現代詩の小説という考えで書いたものと記している。文芸おける「詩の素」と「小説の素」との比較を考える上で、大変興味深い作品である。先ごろ同人誌「グループ桂」に北一郎が「詩人回廊」の散文を「寸編小説」として掲載したが、他の同人が「もっと詳しく事情をかかないと小説らしくない」とか、いうことだった。しかし、師である伊藤桂一氏は「まあ、いいのではないか」という評であった。そこで、あとで「伊藤先生は最近、評が甘くなった」などという話も出たが、北もその気になって、そうだね、なといっていたものだ。
 伊藤先生は、山本周五郎に誰かの葬儀で、出会ったが、「あまり周囲になじまず、ぽつんとしていたね」という。編集者には、伊藤先生の小説を褒めていたという伝聞を耳にしたという。

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2009年11月 7日 (土)

12月6日の第九回「文学フリマ」にあわせて奥泉光氏のイベント同時開催

 「文学フリマ事務局通信公式サイト」によると、12月6日の文学フリマに合わせて、イベントが同時開催されるという。文学フリマは1F大ホールと会議室だけを借りているの。ほかの会議室はあとから借りられるので、動員が2000人ほど見込めるフリマ当日にぶっつけてたイベントは効率が良い。こういうことは、さらに増えるかもしれない。

トークイベント ジュール・ヴェルヌ活用法――奥泉光氏を迎えて
ゲスト:奥泉光氏(作家)
パネリスト:新島進(慶應義塾大学准教授)、石橋正孝(日本学術振興会特別研究員)
ヴェルヌ研究者が奥泉光氏に問う、現代作家にとっての二次創作という問題
人は読んだから書く――文学の歴史とは、絶えざる温故知新の運動である。中世以来のアーサー王物語群、あるいは近代のロビンソナードを参照するまでもなく、二次創作こそ、文学の王道なのだ。奥泉氏は、『「吾輩は猫である」殺人事件』や『新・地底旅行』といった実作によって、この逆説の正しさを証明してきた数少ない現代作家のひとりである。誰もが知っている(と思っている)古典をいかにして現代に生かすか、という課題に対する奥泉氏の解答が上記の二作品にほかならない。そこで共通してパスティッシュの対象となっているのは漱石であるが、今回は特に『新・地底旅行』に注目し、なぜヴェルヌが選ばれたのか、ヴェルヌ作品のどこが現代作家としての奥泉氏を誘惑し、また、「リライト」に向かわせたのか、といった点を、とりわけヴェルヌ研究の視点から本人に直接問い質す。

日時:2009年12月6日(日) 14:30 ~16:00
会場:大田区産業プラザPiO 3F 特別会議室
主催:日本ジュール・ヴェルヌ研究会
協力:文学フリマ事務局
入場料:無料(定員120名)

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2009年11月 1日 (日)

「第九回文学フリマ」の会場付近「京急蒲田駅」

 第八回の時とと大きな変化なし
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 京急蒲田駅周辺は、高架線工事の高い塀で周囲の見通しが効かない。すぐ近くに会場PIOの建物があるのだが、通りからへこんでいるので、見えない。
 駅を大きな車道よりの方の改札を出る。それは東口の反対側で、正面に東日本銀行の看板が見える。工事中の駅舎を出てすぐ右側に交番がある。

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2009年10月29日 (木)

第九回文学フリマ(蒲田)に文芸同志会も参加

12月6日(日)開催予定の「第九回文学フリマに文芸同志会も参加することを決めた。
「文学フリマ」は、プロ・アマ、個人、サークル、法人を問わず参加できる文学のフリーマーケット。出店者の作品を誰でも気軽に見て買うことのできる「文学」限定の同人誌即売会。《参照:文学フリマTwitter
 同人誌即売会は、マンガの世界を活性化させることで知られているが、「それを<文学>の世界でやってしまおう」(望月倫彦・文学フリマ事務局代表)という試み。
 02年以来毎年開催され、出店者・来場者あわせて1000人規模の文学イベントとして注目を集めている。また06年2月には名古屋にて「文学フリマIN なごや」も開催され、その運動展開が注目されてきた。(参照:伝説の「文学フリマ」を名古屋市でも開催

文芸同人誌の即売会「文学フリマ」は、さらなる拡充へ=東京

 09年5月10日の「第八回文学フリマ」は、約320の文芸サークルが出店し、1800人以上の参加人員となった。事務局は「第九回文学フリマ」の参加者は「約380サークルの申し込みの全部のサークルの出店が可能となった」としており、参加者2000人規模のイベントになると見込んでいる。
 文芸同志会は、「第八回文学フリマ」に出店し、WEB同人誌「詩人回廊」から作品セレクションした冊子「詩人回廊2009」を販売した。そこでは、多数の文芸同人誌のなかで、埋没しないように、前々回の秋葉原の七回文学フリマにおける「東浩紀氏のゼロアカ道場」の盛り上がりの余韻を活用、パフォーマンスのため特集記事として評論「東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』で読む日本文学の傾向と対策」を掲載。たまたま来場した東浩紀氏に贈呈している。だが、その努力空しく現在の冊子の販売数は60冊程度(目下、絶版)にとどまった。普段から作品はネットサイト「詩人回廊」は無料で読めるため、ネットに縁のない高齢者が購読者であった。

 今回も前回同様のパフォーマンス特集記事を企画している。評論「大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本』に読むニヒリズム観」を予定、会員の山川豊太郎氏に執筆を依頼中である。
 発想は、「文学フリマ」の発足のきっかけとして、マンガ原作者で評論家の大塚英志氏が雑誌「群像」02年6月号に「不良債権としての文学」で提唱、参加者を募った際に、いち早く文芸同志会も賛同、ほかの年配者構成による文芸同人誌に呼びかけを行った経過を踏まえ、大塚英志氏にスポットを当てることにしたものである。
 これは、評論家をパブリックに評論できるのは読者であるという論理による。今後とも文芸同志会は、現在の文学界の底の浅い「足湯文学化」「ライトノベル化」「専門主義的オタク化」「孤立化」の傾向に逆らい、レガシー文学思想をもって、伝統的な文学精神の継承に努力する。
 「詩人回廊」サイトは、参加同人の作品に加え、青空文庫に作品が発表されている歴史的な文人たち(芥川龍之介、菊池寛、中原中也、夢野久作など)を同時掲載し、直接的な作品比較を容易にし、それをもって文学的鑑賞力の初心者でも、批評的な読み方ができ、鑑賞力の向上になること目指している。

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