2009年12月14日 (月)

詩の紹介  「傘」山本祐子

(紹介者「詩人回廊」 江 素瑛)
「あると安心」。病気でない時にも薬を持ちたがるのと同様に、いざという時の防衛策である。雨に濡れながら、歩くひとの顔は、受ける災難を恐れず、あえて甘受する強さ、勢いがある。占いを信じ、災いがこないことを願うより、災いが来てもそれを克服する強さを願う方が合理的であろう。傘で雨を防いで、歩くひとの顔。災いをおそれ、天気占いを信じるひとなのだろうか。
         ☆
「傘」 山本祐子

落ち度を重ね続けてきた人生なのに/突然の雨に折りたたみの傘を/いつもバックに入れて持ち歩いていた/わたし//
傘を開く自分の姿を鏡に映したことはないが/ひと安心の気分は/顔にでていたのかも知れない//
わたしの目の前を/傘ももたず/走りもせず/どしゃぶりの雨の中を/濡れるに任せて歩く若い人//
ずぶ濡れの衣装に逞しさを思う//

「時間と空間」6号より(2009/12/1 東京都小金井市)

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2009年12月 4日 (金)

詩の紹介 「空即是色」 大塚欽一

(紹介者「詩人回廊」 江素瑛
般若経によると「すべての物事(色)は空によって成立しており、空こそがすなわち物事(色)である。」とある。
それとは視点が違うかもしれないが、私見では、すべての物事は(空)白になり、(空)白こそが物事の帰宿である。年をとると脳の記憶は段々(空)白に替わっていくのではないか。虹は、紅、橙、黄、緑、藍、靛、紫の世の色でなすブリッジ、色の陳列で、心と眼を楽しませる。しかし北極では、白い虹が発生するという。なんでも、すべての色の光が乱反射による混沌の(空)白になるらしいのだ。
この作品は、空か色かは、その場その時に、好き勝手に感じとって、受け入れれば、天使かサタンかになるか、どちらでも「いいじゃないですか」と、作者が主人公に言わせた通りなのだ。どこからどこまでが作者でどこまでが、小さな格子窓のある病室の人かわからないところがみそ。
              ☆
 「空即是色」  大塚欽一
若い頃の放蕩の果てに糖尿病性昏睡に陥り 生死の間をさまよい 奇跡的に生還して来た初老の詩人は 見舞いに来たわたしに感に堪えたように呟いた 昔の人は偉かった (空即是色・色即是空) なんて凄い詩を詠ったのだから 詩じゃないって そんな野暮なことはいわないで あのリズムといい凝縮度といい隠喩といい深遠な思想といい あれは見事な形而上詩ですよ(中略)

くるくると回る百円硬貨の表裏 それこそが世界の実相 パスカルの神論じゃないが 実相を(空)と感じるか (色)と感じるかは君しだい 昔は僕も(空)こそ すべてと思ったが 今は目前に七色の虹が見えている いいじゃないですか この世の織りなす虹を見 奏でられる音楽を楽しむだけで 道元という坊さんが言ってたでしょう(中略)

 このような、難しいことを言って、お説教をとなえる。その男は、

そういうと男は私の腹のなかを見透かすようににやりと笑った 小さな格子窓のある病室で
詩集 「湖底の風景」による(09年9月10日 水戸市 泊船堂)

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2009年11月19日 (木)

詩の紹介 「舞う」 北里 美和子

紹介者 「詩人回廊」 江 素瑛
忙しい主婦ならば必ず経験する日々の「事件」である。「事件」の連続は、生活そのものである。それと、恐ろしい社会の「事件」とは関係ないと軽んじることはできない。たとえれば国際紛争などは、主婦の狂おしい厨房戦争から始まるとしても、大袈裟な話でもない。人間の悪意は、われわれが思っているより世界を揺るがしているのではないだろうか。複雑系のカオス理論では、アフリカで蝶が羽ばたく空気のゆれが、地球の気候変動に影響を与えるとか。人間の哀しき本性への嘆きとも読める。
             ☆
「舞う」   北里 美和子
風が吹いて髪が乱れる/砂埃が舞い上がる/目にゴミがはいる
信号が黄色を示す/急ブレーキをふむ/あやうく追突/うしろからクラクション/あるのよね、こんな日が
朝、冷蔵庫から卵を取り出す/ぼんやりうわのそら/するり掌から卵が離れた/予期していたかのように眺める/床に黄身が盛り上がった
灯油をこぼす/醤油をこぼす/お湯をポットに注ぐ/手元が狂い足に熱湯/アヂッ/手足が踊る/薬缶が舞う
今朝の三面記事/殴る/蹴る/埋める
叩く拳の指先の/爪の中にまでことごとく/力をいれて/哀しみが舞い上がる
 
文芸同人誌 「海」第二期第二号より(H21年10月15日)福岡市花書院

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2009年11月16日 (月)

詩小説の紹介  「ウナギ」佐竹重生

(紹介者 「詩人回廊」江 素瑛)
高度技術のセキュリティに守られて、安全と安心を保証される独居老人。どころか守られるべきセキュリティが、老人行動の自由を束縛されてしまう。安全と思ったものが命を奪ってしまう。古き社会の科学技術に頼らないアナログの隣近所の助け合いをどんどん失っていく、現代社会の孤独死。科学技術が生み出した悲しくい現実、現代人として変えることもできない話である。危険な外部からのリスクをゼロにしたところ、内側からしか開けられない棺であったという読み方もできる。

「ウナギ」     佐竹重生
食料は 石組の隙間から浸み出る水に たっぷりと含まれていた。石垣の奥の洞穴の住処は適当に温み 河の中で日々繰り返される食料獲得やテリトリーの疎ましくも哀しい争いを 食物連鎖の外にいて 壁に穿った小窓から同情しながら ときにはだれにも知られることなく 無差別な遊び心の矢を放ち 群れを乱す小魚をわくわくと眺めて暮らした。(中略)時折差し入れられる竿の先に外国生まれのミミズが断末魔の悲鳴を上げて 死を懇願してきたが そいつの腹に悪意が潜んでいるようで喰うことは冷たく拒絶した。

だが 今日はいったいどうしたというのだ。水と一緒に餌がどんどん流れ出ていく。急いで頭を出せば 青空から剥がれ落ちたか水面は遥か下にあり 空(くう)に突き出て重くなった上半身がだらりと垂れる。身体をくねらせ 脱出を試みるが 鰭は空を切り 出入り口の岩が 胴を締め付け食い込んでくる。岩屋のコルク栓になったという山椒魚の話が頭を掠める。だが 突き出てしまった上半身は 剥き出して進むことも戻ることも出来ない。セキュリティに守られて ひとり ひそかに 籠っていたのが間違いだったか。
(中略)
「今朝、ひとり暮らしの老人が、自宅マンションの玄関で亡くなっていることがわかりました。入り口には鍵がかけてあり、警察では・・・・」

佐竹重生詩集「蓮の花 開くときに」から(09年10月 東京 土曜美術社出版販売)

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2009年11月11日 (水)

詩の紹介  <山椒魚>後日譚  原 満三寿

(紹介者「詩人回廊」江素瑛)
否応なしに情報が氾濫し侵入する。山椒魚が悲しむ。長年にわたる憂鬱、退屈しながらも安住する岩屋が破壊されるから。解決策として、一つは、余計な欲望を抑え「知足常楽」、満足を知ること。もう一つは、時々聾盲になり、情報を拒否すること、である。しかし、鎖国が開放された昔の中国、日本はもとより、今のイラクなど、国民の本意に選らない他国の干渉で、本来どうあるべきかを知らずに、現状肯定をしていくのは、神の意志でもあるのだろうか。

<山椒魚>後日譚  原 満三寿
山椒魚は悲しんだ/とつぜん解放されることになったからだ/彼をながねん閉じ込めていた岩屋の出口が/とつぜんぐらぐらくずれ/ぽっかり大きく開かれたのだ//彼は棲家としていた岩屋で二年もの間/無為に過ごしているうちに躯が大きくなってしまって/気づくと頭が出入り口につかえて出られなくなったのだった/必死で出ようといろいろ試みたが/すべて徒労だった/彼はおのれの迂闊さを悔い/愚かさをののしった/しばらくは呆然とするばかりだったが/やがて ながねん幽閉された囚人のように/悲嘆と孤独をうけいれ/停滯の澱む岩屋の日月になれていった//
彼は幽閉の窓と化した出口から外をながめた/そこには いまや彼と隔絶した風景がひろがり/驚くばかりに生き生きとした春秋があった
(中略)
(ところが、そこで大蛙があらわれ山椒魚の岩屋の出口を壊してしまったのだ)

山椒魚は大蛙に感謝するどころか/なぜか彼は悲しいのだった/壊れた出口からは目が眩むほどの日光が/どっと岩屋にはいり込んだ/かつて渇望した外界か目の前にあった/万緑の風の濃い匂いが/ついに幽閉から解放されたことをつげていた/だが彼は とつぜん実現した開放には/とまどうばかりだった/幽閉されていた窓からは/外界は望遠鏡をのぞくように仔細見えたのだが/すべてが開かれてしまうと/まばゆいばかりの光に幻惑されて/ものの焦点のあわせように困じた/目がなれると/見える世界もその奥にある見えない世界も/にわかに恐ろしい気がしだした/そこは未知の楽しみがひろがる楽土などではなく/生存競争にぞめく不条理が匿されているようにおもわれた//
のである。
(中略)
 「いま あんたの躯は 自由な世界に飛びだしたい自分と なれた岩屋にぬくぬくと安住しつづけたい自分とで 引き裂かれているんだよ なんせあんたは半裂(はんざき)ともいうらしいからね/大蛙はもっともらしく解説してみせ うすく嗤っても/いまや彼には/大蛙に反発して岩屋を出る気力も体力も/懶(もうろく)く萎えて残ってはいないようにおもわれた/失われた歳月に/いつしか 萎え老いた躯になってしまっていることに/彼は兀然(こつぜん)として気がついた/ぶるぶるっと跼(せぐくま)って身悶えした/すると 岩屋に堆積していた泥が/ながねんにわたって降り積もった彼自身の臭気と澱(おり)とともに/はげしく舞いあがった/「我は濁れる水に宿らん」/という遠くから湧きあがる心の声を彼は聴いた
詩誌「騒」第79号より 2009年 9月 騒の会 町田市

(どんなに広大な地球でも、「我は濁れる水に宿らん」としてしまう人間の迷いの心。阿弥陀様の御心だけが救いをもたらすのか)

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2009年11月 2日 (月)

詩の紹介 「降り止まぬ雨へのレクイエム」 伊武トーマ

 詩韻が良く、繰り返しが効いた詩である。落ちかかる橋を渡る勇気が試される。一歩を踏みださないと、始まらない。一歩を踏み出したからと言って、かならず橋を渡ることができるとは限らない。渡ったとしてもなにができるのか。どっちにしても、すべてが終わることはない。終わることがありえない。万物流転、循環回帰の世界の向こうに、虹の世界があったとしても、なんの不思議もない。その時、果たしてレクイエムは、終章へのピリオドとなりえるのだろうか。

「降り止まぬ雨へのレクイエム」   伊武トーマ

すべてが終わることはない。
道端にひとり咲く花を見ずして/崩れた橋を渡ることはできない。
向こう岸に/光がさしているのではない。/誰かが/待っているのではない。
何かが終われば/何かが始まり/人知れず花は散り/またひとり花は咲く……。
尻尾を垂らした野良犬が/橋の前を行ったり来たり。/すりきれた影をひきずり/くんくん鼻を鳴らしている。
向こう岸に/帰る家があるのではない。/飼い主がまだ/ちぎれた首輪を握っているのではない。
絶望もなければ/希望もなく/鳴き濡れて犬は/ひとり咲く花をみつめている。
もう道はない。
ぴんと尻尾を立て/イチか/バチか/崩れた橋を渡るしか道はないのだ・・・。すべてが終わることはない。
崩れた橋を渡らずして/道端に咲いた恋を成就させることはできない。
向こう岸から吹く風に/舞い戻る雨が/すりきれた影をひきずる野良犬の背を/容赦なく打ちのめす。
ああ/土に帰ればこの雨も道。/野良犬は顔を上げ/猛勢一拳に駆け出した。
濁流とうとうと口をあけ/波が波を呑み巻き煽りたて/幾千匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う/崩れた橋の橋脚から橋脚へ
翼の代わりに尻尾を立て/一足飛びに跳躍した・・・。
すべてが終わることはない。
道端に咲いた恋を成就させることなくして/降りしぶく雨が止むことはない。
ああ/土に帰ればこの雨も道。/野良犬は空を駆け/崩れた橋に花と散っても
向こう岸からこちら岸へ/やがて/虹は架かるだろう。
「洪水」4号より 09年7月1日(横浜市・草場書房にて販売
(紹介者「詩人回廊」江素瑛)


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2009年10月26日 (月)

詩の紹介 「崖に打ち寄せる波」大井康暢

 人の声なき声。無言の映像だけの影と光。崖に繰り返し打ち寄せる波のように、遠い時間とも、遠い空間から伝わってきた叫びは、聞きたくても聞こえない。或いは、聞く機能を閉じ、拒否している。
 自分の叫びは、留守番電話に吹き込んでも、手紙を出しても、伝わることがない。無言黙秘、返事がないことは黙って受け取ったことなのか、黙って拒否したのか。
確かに「ITテクノロジーは人間の精神を破壊する」言葉の流れは、その一語で核心に届いている。
  ☆
「崖に打ち寄せる波」          大井康暢

画面いっぱいの大衆の群れ/人々が何か叫んでいる/しかし/映像だけで音がない/拳をかざし腕を振っている/顔がゆがみ口を開けたり閉じたりしている/彼らの声はこちらには聞こえない/向こう側の叫びはこちら側には届かない/バンザイクリフに打ち寄せる/波しぶきに音がないように/永遠に繰り返す悲しみは/動く物体に当てた光の影に過ぎない
悲しみとはそんな光の影なのか/それか知りたくていらいらしてくる/しかしなにも聞こえない/テレビのアナンスか/蹴る音投げる音か/それは騒音の中の無音でしかない/真空状態では音はでない/音は空気の振動としてあるからだ/それは骨の鳴る音なのだ
留守電に用件を話しても/返事がないことがある/決して返ってこない留守電だ/幾度録音しても相手は答えない/これはきわめて現代的な脅迫に違いなかろう/ITテクノロジーは人間の精神を破壊する/手紙を出しても返事が来ない/返答拒否が返答であり/真空パックの恐怖の犯罪なのだ
電話口の半狂乱の叫びが多分現代だ/無音電話の方が効果がある/密室のひとつである電話/怒鳴っても喚いても誰も知らない/しかし一瞬露出した自我は再び消える/無言の威圧は恐ろしい

詩集「遠く呼ぶ声」より 大井康暢 2009年10月10日 東京都砂子屋書房 
(紹介者「詩人回廊」 江素瑛

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2009年9月26日 (土)

詩の紹介 「代用教員志賀先生」張建墻(チョウ ケンショウ)

(紹介者・江素瑛)
 台湾の殖民地時代、制圧戦争と政治の要因とは別に、本当の教育者として、志賀先生と生徒の真情の交流を表現した詩である。統治者長官らの傲慢な態度に恐怖心をもった台湾民衆の間に、教育者としてのあるべき姿を示したその姿に感銘をしている。
子供が言うこと聞かない時「警察が来るぞ」と、大人がそう言って驚かせるほど、警察が怖いのだ。その時代にとくに下層官史、警察などの虐めを心痛めながらも、人と人の暖かい付き合い、尊敬しあう志賀先生のような在駐一般日本人は、普通に存在した。
               ☆
       代用教員志賀先生    張建墻

もとは国事を我が事として奔走し/大学にも教えていた先生/輝かしい行く先をふり切って/台湾の片田舎は大甲のまちへ来て/代用教員でいゝからと/小学の先生になったわよ なったわよ/立居振舞がねんごろで/人を人としてあつくつき合ったので/土地の人がこわがることもなくなった/この身分の低い志賀先生は/あるいは身を以て新付の民と共に暮す/お手本をつくっているのではないでせうか

何時も礼儀正しくへり下って/どなたの挨拶にも叮嚀なおじぎ/ひまを見つけては家庭を尋ね回り/病気の子には親身なお見舞/お話の通じない子らは合点せぬから/授業はさとるまで手をつくして/おろそかにせず うむことなく導き/ 腕白な子もついには根まけして/よく言うことを聞くいゝ子になった/先生は生徒を我が子の様に教えた人/入学勧誘にくたびれる位に話しても/出すか出すまいかとためらう婆さんが/子供を打たない/親切に教えてくれる志賀先生なら/孫が頼めると言うほどに/先生は家々に任せられる人

此のまちが住み良いなのか/いや、台湾の何処も同じなのに/学歴がなければ任官されない/任官されたらえらくなって他処へ転勤されると/御立派な学歴をかくして/何時までも皆さんと御一緒になりたいと願う/先生は愛を植えつけてこの地に根付いた人

二十六年もの長い間心血を注いで培うた/幼児らは星のように繁く/思い思いに四方八方に散らばっていても/古里に帰る日があれば/訪ねてまた語らわうと同じ思は一つ/先生も懐かしい我が家の一人
人は誠にこたえるという言葉を/証して見もせよとばかり/老も若きも悲しんでお柩を送って行く/長い長いお弔いの行列/誰か身空寒い教師を軽んじませうか/鉄砧山のふところに抱かれて永眠する先生の/王侯にもたぐわれる様なおくつき/碑にきざみ、語りつぎ言い傳えて崇められる/先生の教の大きな力に思を致したら

        張建墻詩集「赤道と太陽」(国立台湾文学館)より(08年7月 台湾台南)
                     (参照:詩人回廊「江 素瑛の庭」 )

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2009年9月12日 (土)

詩の紹介  「蝸牛」   清水正吾

(紹介者・江素瑛)
 家庭の夫婦喧嘩から国家政党の競り合いに憂国憂民する作者の苦心をかたつむりの詩に託す。漢詩「本是同根生 相煎何太急」同じ根から出たもの、何故煎り合いに急ぐのか。世界に夫婦ケンカと戦争の絶えたことなし、という見方がある。人類はこの殻を手放して生きることができるのか。
        ☆
          蝸牛

蝸牛よ/かたつむりよ/ひきこもりの/殻からでてこい/ぬくもる春の巻貝の閏門から
  土の渦から生まれ/渦の殻を背負って歩き/腹の底に虫が疼く/詩の渦を背負って/なめくじの軟体質/銀色の糸 足跡をひきずって歩く
狂言「蝸牛」の編笠を被る蟲の男/山伏になぶられて/でんでんむしむし/出出蟲蟲
  うたごえは耳の奥の蝸牛殻/神経が集中する/内耳の器官が震え/胸のなかの自問自答は/つまらぬこぜりあい
夫婦の/角だせ槍だせ/国家の/<蝸角の争い>は絶えず/左の角の先は触氏の国 右の角の先は蛮氏の国/同じ殻のちいさな家 ちいさな国どうし/山伏になぶられた党首/太郎冠者と一郎冠者が能舞台で/甲高く罵りあって いかようにか/宙に向い 男たち 夫は地団駄踏む
  
詩誌「幻龍」10号より 発行所 幻龍舎 川口市 09年9月

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2009年9月 6日 (日)

詩の紹介      「葦」  渡辺みえこ

(紹介者・伊藤昭一)
群生した葦の上を風が吹きぬけると、青い匂いに全身が包み込まれる。一部抜粋すると、
               ☆

葦の匂いがする/まだ氷の張った掘り抜きの/勢いよく流れる水の匂い/野良から上がってくる/都会育ちの母の/細い骨の撓う音

この地の最初の生き物/それは葦だった/混沌から伸びてきた生き物/だから私の中の葦は/風が吹くと目覚めるのだ
               ☆
 葦が寒い時期から芽吹くとは知らなかった。母親の無言の労苦を、幼心は知っている。また、葦の匂いが呼び起こす、身体の奥に刻まれた命の根源を詠んで力強い感動がある。「婦人文芸」87号09年08月(東京都)より

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